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みちのくに病む母上にいささかの胡瓜を送る障りあらすな 斎藤茂吉

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みちのくに病む母上にいささかの胡瓜を送る障りあらすな 「障り」に二通りの解釈が生まれ、斎藤茂吉自身が解説。

斎藤茂吉の歌集『赤光』から主要な代表歌の鑑賞を一首ずつ記します。

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斎藤茂吉の記事案内

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「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。

※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

 

みちのくに病む母上にいささかの胡瓜を送る障りあらすな

読み:みちのくに やむははうえに いささかの きゅうりをおくる さわりあらすな

現代語訳

故郷の東北に住む、病気の母に、ほんの少しの胡瓜を送る 支障なく届きますように

出典

『赤光』 「折々の歌」

歌の語句

  • みちのく…東北のこと 斎藤茂吉の生家は山形県にある
  • 病む母上…病気で療養中の母 「母上」は自らの母を敬称で呼ぶ
  • いささかの…ほんの少しの わずかな

障りあらすなの品詞分解と語句

「障り」には、以下の二通りの意味がある.

  1.  差し支え。じゃま。妨げ。支障。

  2.  病気になること。また、からだのぐあいなどに悪い影響を与えることやもの。

そのため、この歌には、複数の解釈が生まれることとなった。以下は「解説」に。

修辞と表現技法

4句切れ

解説と鑑賞

故郷を詠んだ歌の三首のうちの一首。

当時の中学校の教科書にも、掲載されている。

故郷では珍しい時期の胡瓜

胡瓜は、東京の方が山形よりも早くとれるため、早生のものを送ったのだろう。

おそらく、母の好みの野菜でもあったのではないだろうか。

新鮮でさわやかな生の野菜を食べて、少しでも元気になってほしいという作者の願いが見える。

なお、母の病気は、脳卒中の発作の後遺症であって、「死にたまふ母」に至る前の既往歴であった。

「障りあらすな」の解釈

「障りあらすな」には、胡瓜に対しての「障りあらすな」と、母の病気に対してと二つの解釈があり、発表当時から話題となった。

胡瓜が無事につくように」という解釈が一つのもので、もう一つは、母の病気=障りがないように、がもう一つ考えられるものである。

それに対して、作者は『作歌四十年』において、以下のように説明する。

この歌は、取り立てて云々すべきほどのものではないけれども、結句の「障りあらすな」の解釈につき、母に「障りあらすな」すなわち、「障りあらせたまふな」と解し、教師用参考書にもそう出ているのであったらしいのである。

然るに句法からいけば、「送った胡瓜に障あらしむな」と解釈すべきなので、そう解釈してはどうかといって、全国の少女から質問の手紙をもらったことは度々であった。

作者のつもりはやはり、「送った胡瓜に障りあらしめるな。無事に届いてくれ」というつもりであったのである。

しかし、「障りあらすな」は、「障りあらせ給ふなかれ」という敬語にも取れるので、解釈が二様になったのであった。

斎藤茂吉は、教師用の参考書に誤った解釈が掲載されたことについて、自らの歌の「欠点」と譲歩しながらも、「「病む母上に…障りあらすな」という解釈にも無理がある」と指摘している。

一連の歌

折々の歌より一連三首

みちのくの我家(わぎへ)の里(さと)に黒き蚕(こ)が二たびねぶり目ざめけらしも (故郷三首)

みちのくに病む母上(ははうへ)にいささかの胡瓜(きうり)を送る障(さは)りあらすな

おきなぐさに唇(くちびる)ふれて帰りしがあはれあはれいま思ひ出でつも




-赤光

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