『斎藤茂吉 異形の短歌』は品田悦一氏による斎藤茂吉の「死にたまふ母」の短歌全首の解説を記した本です。
斎藤茂吉の特異性についても、見事に解き明かしてくれている『異形の短歌』の内容をご紹介します。
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『斎藤茂吉 異形の短歌』品田悦一著
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『斎藤茂吉 異形の短歌』は近年の斎藤茂吉の研究所としては、大変おすすめの本です。
大体が、斎藤茂吉の紹介の本といえば、伝記が主体となるわけですが、その部分は、品田悦一氏のもう一冊の本、『斎藤茂吉―あかあかと一本の道とほりたり』の方に、詳細に記されています。
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『異形』の意味
この本のタイトルで、まず目を惹かれるのは『異形』の二文字です。
斎藤茂吉の「たまらなく変な」点、これは内容からも、そして、文法からも例となる短歌をあげて、例証が重ねられていきます。
その最も大きな例が斎藤茂吉の「已然形露出」という独自の用法です。
これについては、前著『斎藤茂吉 あかあかと一本の道とほりたり』で述べられた部分が以下の通り
(已然形露出は)万葉集には四千二百余首中にたった一例しかないのに対して、『赤光』では八百三十四首に三七首と多用されており、その珍奇な措辞や不自然な語法は、当たり前の物事を当たり前でなく感じさせるための仕掛けに他ならない。ありふれた日常の一齣が異様な情景に見えるのは、そのような茂吉独特の語法の裏打ちがなされたためである。
単なる文法上の誤りというにとどまらず 「珍奇な措辞や不自然な語法」というとおり、茂吉の独特の言語感覚の指摘がなされています。
『異形の短歌』の方は、この前に、「死にたまふ母」の全首解説が記されているため、前著より一般向きのやさしい「です・ます」口調で語られるように書かれていますが、それでも、茂吉の”異様さ”については
読者である私たちが茂吉の「万葉語」から受け取るべきものは、何よりも、異常な言い回しが放射する不可思議な、奇異な、そして戦慄的な感覚でなくてはなりません。
とあります。
もちろん、このような「既成のことばの網の目をいかにしてずらす」か、つまりそれは一語で云えば「創造」である「捏造」なのですが、そこから受ける感覚の特異さが、詳細に解説されています。
元々、万葉語や古文に慣れていないと、読んでいる方は、まったく気が付きにくい点と言えます。
『死にたまふ母』の全首の解説
その上で、この本に記されている最も大切な部分は、「死にたまふ母」の全首の解説です。
塚本邦雄の『茂吉秀歌』は『赤光』の秀歌はもちろん、「死にたまふ母」の秀歌も取り上げていますが、全首というのは、この本が初めてではないかと思います。
その際「のど赤き」のような、有名な歌ばかりではなく、それらの地歌となる、あまり引用されていない歌に関しても、詳しい解説がなされており、死にたまふ母全体の流れもよくわかります。
その上で、短歌史の上での斎藤茂吉の位置づけや、作歌の変遷と過程を知る上でも大変に役立ちます。
とくに、この本のネックは、歌人というものが、いかにして作られるかというところにあります。
斎藤茂吉が、国民歌人となった理由、「死にたまふ母」が教材となったわけなど、これまでにはない歴史的な視点から語られているのも見逃せません。
今まで以上の興味とおもしろさがあり、歌に対する理解も深まりますので、斎藤茂吉の好きな方には、おすすめの本と言えます。