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『赤光』題名の意味 斎藤茂吉の歌集

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『赤光』というのは、斎藤茂吉の最初の歌集である処女歌集の題名で、『赤光』は「阿弥陀経」の経典からとられた言葉です。斎藤茂吉が歌集を『赤光』の題名にした理由を記します。

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『赤光』と斎藤茂吉

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『赤光』は斎藤茂吉の処女歌集の題名です。『赤光』が刊行されたのは、大正2年(1913年)、斎藤茂吉31歳のときです。

『赤光』は歌壇だけではあく、文学界全体に大きな影響を与えました。

 

『赤光』の題名の由来

歌集名の『赤光』は、幼いころから仏教に親しんだ茂吉が、『仏説阿弥陀経』の

『池中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔・・・』

の部分からとったものです。

斎藤茂吉自身の解説

斎藤茂吉は『赤光』の初版後書きにおいて、以下のように

本書の「赤光」という名は仏説阿弥陀経から採ったのである。彼の経典には「池中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔」というところがある。予が未だ童子の時分に遊び仲間に雛法師が居て切りに御経を暗唱して居た。梅の実をひろうにも水を浴びるにも「しゃくしき、しゃっこう、びゃくしき、びゃっこう」と誦して居た。

 

『赤光』の意味

また、経典の「赤光」の発見とその時期を、下のように続けています。

「しゃっこう」とは「赤い光」の事であると知ったのは東京に来て、「新刻訓点浄土三部妙典」という赤い表紙の本を買った時分であって、あたかも露伴の「日輪すでに赤し」の句を発見して嬉しく思ったころであった。それから繰ってみると明治38年は予の24歳のときである。

『赤光』の思いつきは、24歳の時だったことがわかりますが、「赤い光」は、つまり、太陽の光を指していることもわかります。

幸田露伴は、斎藤茂吉がまず最初に大きな影響を受けた文学者の一人です。

歌集題名を『赤光』とした理由

処女歌集を『赤光』とした理由は、茂吉本人は「仏説阿弥陀経から採ったのである」と言っていますが、その朗詠を聴いているときには、意味はわからなかったのです。

意味が分かったのは上記の通りに24歳の時ですので、「日輪すでに赤し」、つまり、露伴の言葉というつながり、さらにそれを太陽の光とするイメージが大きかったと思います。

ちなみに、第二歌集の『あらたま』は、森鴎外の「璞」と関連があることを、斎藤茂吉自らが述べています。

『赤光』『あらたま』共に、先人の影響が大きな言葉を歌集のタイトルとしている点は興味深いところです。

「赤」は斎藤茂吉のテーマカラー

本歌集の中に頻繁に出てくる赤い色は茂吉のテーマカラーともいえます。

「赤」が出てくる短歌作品が多いため、茂吉は「くれなゐの茂吉」とも言われました。

『赤光』と夕映え

『赤光』が夕日、または夕映えであるというのは、斎藤茂吉の研究家の本林勝夫が書いています。

東北の山村に育った茂吉は、山から昇り、山に落ちる太陽しか見たことがなかった。だから東京に来てはじめて真っ赤な落日の景を見た当時、「歓喜と賛嘆」の思い出これに対したと語っている。実際、『赤光』は夕陽の氾濫する世界であり、以後夕映えや日の余光を詠んだ歌は晩年にもあとを絶たず、「くれなゐ」の茂吉の面目を発揮している。―『茂吉遠望』より

 

『赤光』の「赤」と「紅・くれない」の短歌の例

かたむく日すでに真赤(まあか)くなりたりと物干(ものほし)に出でて欠(あくび)せりけり

入りつ日の赤き光のみなぎらふ花野(はなの)はとほく恍(ほ)け溶(と)くるなり

ちから無く鉛筆きればほろほろと紅(くれない)の粉(こ)が落ちてたまれり

猫の舌のうすらに紅(あか)き手(て)ざはりのこの悲しさを知りそめにけり

くれないの鉛筆きりてたまゆらは慎(つつま)しきかなわれのこころの

いちにんの童子(どうじ)ころがり極まりて空見たるかな太陽(たいやう)が紅し

わが生(あ)れし星を慕ひしくちびるの紅(あか)きをみなをあはれみにけり

『赤光』の概説

斎藤茂吉の処女歌集。明治38年(1905年)~大正2年(1913年)の作品を集めて、大正2年(1913年)10月に東雲堂書店から刊行された。茂吉のもっともよく知られる代表的な歌集と言える。

初版は834首が収録され、逆年代順の配列だったが、大正10年(1921年)発行の改選版では760首にまで削られ、年代順に改められた。その際改作や推敲が行われたため、初版と改選版の歌は部分的に異なっている。

 




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