母が目をしまし離れ来て目守りたりあな悲しもよ蚕のねむり
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から主要な代表歌の現代語訳付き解説と観賞を記します。
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「死にたまふ母」は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。
「死にたまふ母」の全部の訳を一度に読むなら 斎藤茂吉 死にたまふ母其の1 からどうぞ。
※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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母が目をしまし離れ来て目守りたりあな悲しもよ蚕のねむり
読み:ははがめを しましかれきて まもりたり あなかなしもよ かいこのねむり
現代語訳
母の顔を見守ることをしばしやめて母の部屋を離れて見つめる蚕の眠る様子、これもまた悲しいものであるよ
出典
『赤光』 「死にたまふ母」 其の1
歌の語句
- 母が目…「目」は顔のことだが、母全体、母のいる空間の「母の辺」のことも差す
- しまし…「しばし」に同じ 少しの間、しばらくの意味
- 離れ来て…読みは「かれきて」。基本形「離る」+「来る」の複合動詞
- 目守りたり…「目守る」の読みは「まもる」。意味は「見つめる」
- あな…「ああ」の感嘆詞
- 蚕の眠…蚕の生態で眠る時期がある 以下に解説
句切れと表現技法
- 4句切れ
- 体言止め
解釈と鑑賞
歌集『赤光』「其の2」の中の一首。
故郷に着いた作者は母を離れず付き添っている途中の場面
母と蚕 両者の「眠り」
斎藤茂吉の実家は農家で、昔の農家は、農作業と共に養蚕も行っていた。
「死にたまふ母」の中で蚕と、その関連の植物である桑が出てくる歌は、4首ある。
朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり
桑の香の青くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母呼びにけり
ひとり来て蚕(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり
養蚕を行う部屋は、家の居住空間の一部でもあり、蚕の世話も日常的な生活の一部でもあったのだろう。
斎藤茂吉の自註
斎藤茂吉はこれを自註で以下のように説明している
私の家も養蚕をするのでどこの部屋も蚕でいっぱいであった。蔵座敷に付している母のそばをしばらく離れてきて、蚕を飼っておる部屋に立っていると、蚕は二眠か三眠に入って、桑を食うことを止めて頭を上げて眠っている。これもなんともいえず悲しく感じせしめる。その時の歌である
蚕の眠りの意味
蚕は脱皮する前に眠ったように動かなくなる性質があります。
この眠る蚕の姿が、現在、動かずに横たわったまま眠ったように、死に瀕している母の姿を思い出させてしまう。
そのため、作者は蚕の部屋で休もうと思っても、再び悲しみに捕らえられてしまう――その時の自身の心情を漏らさずにとらえて、作品に歌っています。
一連の歌
桑の香の青くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母呼びにけり
死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
春なればひかり流れてうらがなし今は野(ぬ)のべに蟆子(ぶと)も生(あ)れしか
死に近き母が額(ひたひ)を撫(さす)りつつ涙ながれて居たりけるかな
母が目をしまし離(か)れ来て目守(まも)りたりあな悲しもよ蚕(かふこ)のねむり
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳足(ちた)らひし母よ
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