斎藤茂吉「死にたまふ母」より其の1の歌と、歌の現代語訳、語の解説、鑑賞を一首ずつ記します。
このページは4ページある中の1ページ目です。歌の出典は改選版に拠ります。
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斎藤茂吉「死にたまふ母」
斎藤茂吉「死にたまふ母」より其の1の歌と、歌の現代語訳、語の解説、鑑賞を一首ずつ記します。
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「死にたまふ母」その2
「死にたまふ母」その3
「死にたまふ母」その4
■「死にたまふ母」を含む、赤光の記事一覧は『赤光』一覧
■斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
死にたまふ母 その1
[toc]
ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ
読み:ひろきはは きにひるがえり ひかりつつ かくろいにつつ しずこころなけれ
意味と現代語訳
広葉樹の葉が風にひるがえり太陽に光ったりかげったりして、心が落ち着かないものだ
歌の語句
しづこころなし 静心なし [形ク]心が落ち着かない。
古今集に「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ]
表現技法
結句の「けれ」は、通常は「こそ-けれ」の係り結びの形で用いるが、ここでは単なる已然形の形で終えたもので、茂吉に特有の用法と言える。
「条件句とも終止句ともいえないあいまいさが、居心地の悪い漢字や不安感を喚起する」(品田悦一『異形の短歌』)
「ひろき」「ひるがえ」「ひかり」の、ひの音、また「つつ」の反復と声調を味わいたい。
解釈と鑑賞
全59首の冒頭にふさわしい優れた歌。母の死はまだ明らかになっておらず、一連への導入の歌である。
塚本は「死にたまふ母」と別に一首を独立して読んでも、「晩春初夏の落ち着かぬ心身を、息づかいあらわな律調で生き生きと写している」と評する。
さらに詳しい解説は下のページに
白ふぢの垂花(たりはな)ちればしみじみと今はその実の見えそめしかも
読み:しろふじの たりはなちれば しみじみと いまはそのみの みえそめしかも
意味と現代語訳
白藤の長く垂れる花が散ってしまったので、しみじみと今は実が見え始めていることだ
歌の語句
「かも・・・「か」に係助詞「も」の付いたものの文末用法から、一語の助詞となったもの。主として上代に用いられ、中世以降はおおむね「かな」となった。
感動を込めた疑問、感動・詠嘆を表す。
ここでは後者。「・・・ことだ」
解釈と鑑賞・解説
母の逝去は5月23日。塚本邦雄は、この歌に母の4年前の発病からの時間経過の回想も重なっているとみて、「しみじみと」に籠めた思いを読み取る。
あるいは「実り」に対して、消えゆく命の対比の意図もあったかもしれない。
みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん一目みんとぞただにいそげる
読み: みちのくの ははのいのちを ひとめみん ひとめみんとぞ ただにいそげる
意味と現代語訳
東北の村に住む母をいのちがあるうちに、一目見ようとただひたすらに急いでいる
語句と文法
・初版では「いそぐなりけれ」の已然形止め
・「ぞ」は強意
・「いそげる」は連体形(下に名詞が来る形)なので、本来文末なら「急げり」か「急ぎぬ」
・作者本人が「いそげる」と手直ししたものだが、「脱臭したせいで無味乾燥になった」(品田)
表現技法
「見ん」は旧仮名遣いであれば本来は「見む」なのだが、この歌に限っては、作者が「見ん」と記している。
読みの音声は同じなので、視覚的な「語感」の点からの選択になる。
なお、茂吉に限らず、新かなと旧かなはどちらかに統一されるもので、通常は取り混ぜて扱われることはないため、意図的なもの。
解釈と鑑賞・解説
母に関する知らせは「危篤」というものだったようで、生家は山形県であり、東京からでは時間がかかる故に、移動に要する時間はどんなにか長く、急かれる心が意識されたには違いない。
「一目見ん」の反復については、品田は単なる反復ではないという。3句以下が「そうだ、一目見ようとと(私は)ただ急いでいるのだ」と叙述の主体が入ることで、「いったん成立した了解を後続句が覆す」構成。
うちひさす都の夜(よる)にともる灯(ひ)のあかきこを見つつこころ
読み: うちひさす みやこのよるに ともるひの あかきをみつつ こころおちいず
現代語訳
都の夜に点る明りの赤く明るいのを見ながら、心は落ち着かない
語句と文法
・うちひさす 「打ち日さす」 日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる枕詞。
・あかき・・・ 「あかし」には、「赤い」という意味での「赤し」と、明るいという意味での「明かし」の両方とがあるが、この場合は、後者の都会の明るさの方と取るべきだろう。
・落ちいる・・・ 落ち着く
・なお、初版の4、5句は「あかかりければいそぐなりけり」
・茂吉が住んでいたのは東京であるので、「都」は東京を発つ時のことを差すと思われる。
表現技法
「うちひさす」は枕詞。枕詞はすべて万葉語と呼ばれ、万葉集に用例がある言葉をいう。以下参照。
鑑賞・解説
「万葉調」というのは、茂吉のスタイルであった。枕詞とその他の万葉語。「・・・けり」のような万葉集中に多用された言葉を、現代の自分の歌に取り入れたが、内容はそれまでの擬古派と言われた根岸派と同一ではなく、万葉語を取り入れるというスタイルで、近代的な内容を表したところに茂吉の特色がある。
この歌も枕詞を冒頭に置くとことで、一首の雰囲気が決まる。「万葉調」は 他のアララギ歌人にもあったが、これは殊更茂吉の好むところでもあった。また、それまでの万葉調ではなく、茂吉独特のものであるともいえるところに注意したい。ははがめを
ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額(ぬか)のへに汗いでにけり
読み:ははがめを ひとめをみんと いそぎたる わがぬかのえに あせいでにけり
意味と現代語訳
母の目を一目見ようと急いでいた私の額の上に汗がでていたのだったよ
語句と文法
「へ」は「上」とかいて、平仮名の旧かなだと「へ」。音は「え」と読む。
解説と鑑賞
「が」は「の」に同じ母の目の意味なのだが、「母が目」の「目」は母の顔を表す古い語。それで「目を一目を」と続くことになる。
「母が目を」は「見ようと急ぐ」と続くはずだが、そこに「一目を」を挟んだことで、渋滞感が起き、「急いでもなかなか到着しないもどかしさ」が生じる。(品田)
この歌の解説を読む
灯(ともし)あかき都をいでてゆく姿かりそめの旅と人見るらんか
読み:ともしあかき みやこをいでて ゆくすがた かりそめのたびと ひとみるらんか
意味と現代語訳
光の明るい都会を出て行く私の姿を、ただの旅行だと人は見るだろうか
語句と文法
・あかき ここでは「明るい」の意味。
・かりそめの・・・一時的な、ちょっとしたこと。ふとしたこと。
・見るらんか・・・「らん」は未来の助動詞
表現技法
「姿」のあとは目的格の「を」が省略
解釈と鑑賞
「姿」とあるのは、おそらく、急いで出てきたために、手荷物も少なく軽装だったのだろうと思われる。
短い旅、心にも重荷などない、重大でもない用件のための里帰りであったらよかったのに、との作者自身の思いもあるだろう。
たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや
意味と現代語訳
束の間に眠ってしまったろうか。走っている汽車の中で眠ってしまったのだろうか
語句と文法
・たまゆら・・・ごく短い間。瞬間
・ぬち・・・ 内。中。
[連語]格助詞「の」に名詞「うち(内)」の付いた「のうち」の音変化。
名詞につけて「家ぬち」「部屋ぬち」など。
・かな・・・ 詠嘆の助詞
・や・・・ 疑問の助詞
表現技法
二句切れと「かなや」の反復
鑑賞と解説
とろとろとまどろんでは、はっと気が付いて、「こんなたいへんな時なのに、自分は今眠ってしまったのか。本当に眠っていたのだろうか」と、慌てて自身に問い直す気持ちが出ている。
反復される問いかけは誰に問うとでもないものだが、孤独な道中に、それだけ心細い気持ちがあったことが伝わる。
吾妻(あづま)やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり
意味と現代語訳
吾妻山に雪が輝いているのが目に入るようになると、東北の、私の母がいる国に汽車が入ったということだ
語句と文法
・吾妻山は山形の県境にある山。
・「ば」は接続助詞。
表現技法と解説
「・・・ば」について。「何々だったので」という意味、すなわち、「かがやいたので」「汽車が入った」とするつながりに不適当を感じると述べる評者もいる。
この「・・・ば」も、この作者に多用される特徴的な表現である。ひろきはは
朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり
意味と現代語訳
晩秋の朝の寒さに桑の木の葉に霜が降っていて、母に近づく汽車が走っているのだ
語句と文法
朝さむみ・・・朝寒み 朝のうちだけ、ひやりと寒さを感じること。その寒さ。
鑑賞と解説
辞書には「朝寒み」は「晩秋」とあるが、母の逝去は5月23日。
夜行列車で、山形に入ったのは、早朝だったのだろうか。
汽車が走り続けて東北に入るにつれて、辺りの空気がしんと冷たくなる様子がわかる。
それだけ長い距離を走ったということでもある。初版では3句は「霜ふれば」となっている。
沼の上にかぎろふ青き光よりわれの愁(うれへ)の来(こ)むと云ふかや 白龍湖
読み:ぬまのうえに かぎろうあおき ひかりより われのうれいの こんというかや
意味と現代語訳
沼の上にただよう青い光から、私の憂いが来るとでもいうのか
語句と文法
結句の「か」は疑問の助詞。「や」は詠嘆で疑問が強められている。
表現技法
反語的表現。「青い光のそんなことのせいで、私が浮かないとでもいうのか」と強く問い、「そうではない」と死に面する母の重篤を暗に示す手法。
解説と鑑賞
東北の故郷を表すものを、巧みに取り入れている。また道中を詠むこの連作では、美しいものはもちろん、また、自分とは直接関係のないつまらないようなものであっても、見たもの皆、自分の心境を増強して伝えるものとして生かしている。
其の1は移動中だけの場面で構成されるのだが、要素の一つ一つが目新しいものであるように作者の工夫の上、配置されているとも言える。ひろきはは
上(かみ)の山(やま)の停車場に下り若くしていまは鰥夫(やもを)のおとうとを見たり
読み: かみのやまの ていしゃばにおり わかくして いまはやもをの おとうとをみたり
意味と現代語訳
上の山の駅に降りて若いのに妻を亡くして独り身になってしまった弟に会った
歌の語句
やもおは「寡婦やもめ」と同じく、男性、男やもめを差す。
四男の直吉は、婿養子になって、高橋四郎兵衛を名乗ったが、妻に早く先立たれて、後に再婚した。
表現技法
「下り」は普通「下りて」と「て」が入るのだが、字余りと「若くして」のため重複を避けたと思われる。
解釈と鑑賞
母から受け継ぐ血を同じにする肉親がここで初めて登場する。
他の評を見ると、「弟への思いやり」と「よそよそしく無感動」という取り方との両方があるようだ。
しかし、一連を通じて出てくるのは、この「弟」のみである。
ちなみに茂吉には、父の他に兄も妹もいるのだが、一連で、母の死の悲しみの前に他の兄弟との連帯を表すものはない。
兄を迎えに来てくれた弟ただひとり、そして、若くしてやもめとなった自分よりも若い弟の身の上を案じる兄らしい気持ちが、少なくてもこの歌にはあると言えるのではないか。
また作者は意図的に、母への情だけをクローズアップしたかったともいえるとも思う。
母を取り巻く他の身内の悲嘆は、死の前の母を囲んで心配する様子、息を引き取ったときの涙は、作者本人のもの以外は一切描かれてはいない。