楢若葉てりひるがへるうつつなに山蚕は青く生れぬ山蚕は
斎藤茂吉の代表作短歌集『赤光』の有名な連作、「死にたまふ母」の歌の現代語訳と解説、観賞を記します。
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斎藤茂吉の記事案内
『赤光』の歌一覧は、斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞にあります。
「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の語の注解と解釈も併記します。
他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『赤光』の歌の詳しい解説と鑑賞があります。
※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列していますので、合わせてご覧ください。
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楢若葉てりひるがへるうつつなに山蚕は青く生れぬ山蚕は
現代語での読み:ならわかば てりひるがへる うつつなに やまこはあおく あれぬやまこは
歌の意味と現代語訳
楢の木の若葉が、光に照りながら、風に裏返るそのぼんやりとした中に、山蚕が青く生まれている、その山蚕が。
※「死にたまふ母」一覧に戻る
斎藤茂吉「死にたまふ母」全短歌作品 現代語訳付き解説と鑑賞
歌の語句
・山蚕(やまこ)…自然の中にいる野生の蚕 ヤママユガの幼虫
・てりひるがえる…「照る+ひるがえる」の複合動詞
・うつつなに…形容詞「うつつなし」の名詞形 意味は「しっかりした分別や思慮をもっていないさま。 正気でないこと」
句切れと修辞・表現技法
- 結句の「生れぬ」が終止形だが句の途中なので句切れとは言わない。
- 倒置と反復
解釈と鑑賞
「死にたまふ母」其の3の冒頭1首目の歌。
この歌の後に「日のひかり斑らに漏りてうら悲し山蚕は未だ小さかりけり」がある。
母の亡くなった後、一行は棺を囲んで外に出ることになり、外の景色を詠んだ初めの歌となる。
山蚕はヤママユガの幼虫、茂吉にとって身近な生き物であり、『赤光』には「ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕殺ししその日おもほゆ」がある。
いずれも、ふるさとの思い出につながるものであったろう。
作者の心情
「うつつなに」は、「しっかりした分別や思慮をもっていないさま。 正気でないこと」。
母の死後、悲しみでこころがふさがれぼんやりとしている様子がうかがえる。
そこで、動いているものが目に留まる。それが、光の中、風に動く楢の葉であり、青い山蚕であったのだろう。
山蚕が光る、または動くなどの動詞ではなく、「生れぬ」と命の誕生に焦点を当てる表現をしたのは、母との二つの命の対照が背景にある。
つまり、自分にとってかけがえのない母は死んだ。そして、ここには、また新しい命が生まれている。
その命の不思議と、過酷なまでの自然が、この風景に作者が感じたものだった。
この短歌の前後の一連
楢若葉(ならわかば)てりひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青く生(あ)れぬ山蚕は
日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲し山蚕は未(いま)だ小さかりけり
葬(はふ)り道すかんぼの華(はな)ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや
おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我(われ)ら行きつも