山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」其の4の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よの解説
現代語での読み:やまゆえに ささたけのこを くいにけり ははそはのははよ ははそはのははよ
作者と出典
斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 20首目の歌
現代語訳
泊まったのが山なので供された笹筍を食べたのであった ああ母よ、母よ
歌の語句
- 山ゆえに・・・上山温泉のこと
- 笹竹の子・・・笹竹の竹の子 従来の竹の子よりも細い山菜の一種と思われる
- 食ひにけり・・・「に」は完了の助動詞「ぬ」連用形。「けり」は詠嘆の助動詞「だよ、だなあ」などと訳す
- ははそはの・・・「ははそはの」は母にかかる枕詞
句切れと表現技法
- 3句切れ
- 反復
解釈と鑑賞
歌集『赤光』「死にたまふ母」のいちばん最後の歌。其4の20首目にあたる。
母の葬りの後に温泉に泊まった2日間に詠まれた歌とされる。
塚本邦雄の評だと
有終のあはれを奏でる、さすがに絶唱と呼ばれてよい作品だ
(出典『茂吉秀歌』より
一首の構成
上句は「山ゆえに」とやや説明的な部分がついている。
下句は母への呼びかけが反復されているだけである。
笹竹の子と母との関連は明示されていない。
この短歌の特徴
一つ前の歌は、
湯どころに二夜ねむりて蓴菜を食へばさらさらに悲しみにけり
で蓴菜(じゅんさい)のの山菜が詠まれている。
どちらも旅館で供された食事に合った山菜であろう。
上は「じゅんさい」「さらさら」と擬音がみられる。
今回の歌は
「ささたけのこ」「ははそはのはは」
と、名詞と枕詞がそのまま擬音として用いられるような効果のある言葉が用いられており、かつ、前の歌と揃えられているため印象に強い。
内容的には、本歌の歌の方が「さらさらに悲しむ」の第三者的な描写から、母にそのまま「ははそはのははよ」と呼びかける形になっており、むしろ悲しみが増幅、強調された生の形で伝わるものとなっている。
「ははそはの」の枕詞
母の枕詞として他によく使われるのが「たらちねの」であるが、それは一連では、母の臨終の際の
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
匂いて用いられている。
単に「母」とするよりも重厚感が増している。
竹の子から母を想起する
竹の子から母を想起したという内容だがこれについては
幼少のころから食べ慣れたものですから、蓴菜以上に母の思い出に直結していたのでしょう
という解説がある。(出典:「斎藤茂吉異形の短歌」
塚本邦雄は
「涙の味、それは蘇りつつあるその味覚さえ、すべえて母に繋がらぬはないあはれを言うのだ」
として故郷の味と母の関連をあげている。
上山温泉の場所
一連の歌
蔵王山(ざわうさん)に斑(はだ)ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨(そば)ゆきにけり
遠天(をんてん)を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき
やま峽(かひ)に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の香(か)の深くただよふ
湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり
山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ