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遠天を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき 斎藤茂吉「死にたまふ母」

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遠天を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき

斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」其の4の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。

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斎藤茂吉の記事案内

『赤光』一覧は 斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。

「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。

※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

 

遠天を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしきの解説

現代語での読み:おんてんを ながらうくもに たまきわる いのちはなしと いえばかなしき

作者と出典

斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 17首目の歌

現代語訳

遠い空を流れていく雲に命はないといえば悲しいものだ

歌の語句

  • 遠天・・・遠い空のこと。漢語
  • 流らふ・・・「流らふ」が基本形。意味は「流れ続ける。静かに降り続ける」
  • 万葉集に「うらさぶる情さまねしひさかたの天のしぐれの流らふ見れば」の例が有名
  • たまきわる・・・命にかかる枕詞

句切れと表現技法

句切れなし 倒置




解釈と鑑賞

歌集『赤光』「死にたまふ母」の其4の17首目の歌。

最初のアララギ投稿時にはない歌で『赤光』刊行時に追加された。

歌の意味

山の上に動いている雲は動いてはいても命があって空を流れているわけではない。

ただ風のままに吹かれて遠ざかって行ってしまうだけだ。

そのような想念が雲を眺めた作者に浮かぶのは、亡くなった母とその雲とを重ねているからである。

母が生きて動いているのであったらどんなに良かっただろう。

葬ったばかりの母にそれはもう望むべくもない、そのような寂しさが空にある雲に「かなしき」と言わせている。

「遠天をながらふ雲に」は情景の描写だが、「たまきはる命は無しと云へば」が作者の想念で、「たまきはる」の枕詞の部分はその転換に当たる部分。

母を亡くしたばかりの作者の感慨を表す下句がポイントとなる。

蔵王山の場所

一連の歌

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