短歌に限らず文学作品は同時代の作品や交流、その時代の背景をもとに生まれるものです。斎藤茂吉の短歌も様々な要素を取り入れながら、一つの作風を成していったことが読み取れます。
この記事では、斎藤茂吉と若山牧水の短歌の影響を考えてみます。
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斎藤茂吉と若山牧水
本林勝夫氏の「牧水の歌と茂吉」において、斎藤茂吉が牧水の短歌を摂取したことが読み取れる記述があります。
斎藤茂吉はアララギ派で牧水はアララギ派の歌人ではなく、「密接な交渉があったわけではない」が、茂吉の日記を読むと、牧水の危篤時の報に、牧水への関心が強く感じられるものとなっています。
斎藤茂吉と若山牧水の年代比較
両者の生没年は以下の通りです。茂吉が3歳年長であることがわかります。
生没年
若山牧水(わかやま ぼくすい):1885年(明治18年)生 - 1928年(昭和3年)没
斎藤茂吉(さいとう もきち):1882年(明治15年)生 - 1953年(昭和28年)没
歌集の刊行
歌集の刊行については
若山牧水の最初の歌集(処女歌集) 『海の声』1908年(明治41年)7月刊行、続く(『別離』)は1910年(明治43年)に刊行されました。
斎藤茂吉の処女歌集 (『赤光』)の刊行は1913年10月です。
そのほか、明治43年にアララギ誌上で(『別離』)の合評も行われており、自然主義派の牧水の作品も当然大きな影響は考えられます。
若山牧水の歌風
若山牧水は、短歌では一般に「自然主義派(自然主義短歌)」に位置づけられる歌人です。
とくに歌集(『別離』)(1910)が自然主義の思潮を受けた歌風として注目されています。
しかし、旅・自然・酒・恋といった主題を好んで扱った牧水の短歌は自然主義の影響下で、旅と自然への叙情を核にした抒情的な作風であり、それまでの短歌には見られなかった新鮮な印象が当時の歌人たちの注目を集めました。
この若山牧水の最初の影響がみられると考えられているのが、(『赤光』)中の以下の「をさな妻」の一連です。
墓はらのとほき森よりほろほろと上(のぼ)るけむりに行かむとおもふ
木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり
をさな妻こころに持ちてあり経(ふ)れば赤(あか)小蜻蛉(こあきつ)の飛ぶもかなしき
目を閉づれすなはち見ゆる淡々し光に恋ふるもさみしかるかな
ほこり風立ちてしづまるさみしみを市路(いちぢ)ゆきつつかへりみるかも
このゆふべ塀にかわけるさび紅(あけ)のべにがら垂りをうれしみにけり
嘴(はし)小鳥さへこそ飛ぶならめはるばる飛ばば悲しきろかも
細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり
水(み)さびゐる細江(ほそえ)の面(おも)に浮きふふむこの水草はうごかざるかな
汗ばみしかうべを垂れて抜け過ぐる公園に今しづけさに会ひぬ
をさな妻ほのかに守(まも)る心さへ熱病みしより細りたるなれ
この一連はそれまでの斎藤茂吉の作品とは傾向の違ったものとなっており、そのため、伊藤左千夫がこの「墓はら」一連を含む作品を批判、対立の元となったことが指摘されています。
赤光のテキストは
『赤光』 斎藤茂吉 全短歌一覧テキスト
若山牧水と斎藤茂吉の作品の対比
斎藤茂吉自身が牧水の短歌を自ら挙げて自分の作品と並べたものが、以下の作品です。
夏の樹にひかりのごとく鳥ぞ啼く呼吸(いき)あるものは死ねよとぞ啼く
身体(からだ)は一枚の眼となりぬ、青くかがやける海、ひらたき太陽 (大正元年)
牧水のこれらの作品に対して斎藤茂吉が自身が対照するのは
高原にひかりのごとくうぐひすの群がり啼くは楽しかりけり(昭和5年)
横ぐもをすでにとほりてゆらゆらに平たくなりぬ海の入日は (昭和9年)
で、茂吉自身は牧水の歌を「いろいろの派に先鞭をつけている」と書いています。(「童馬山坊夜話」)。
その他の歌についても、本林氏があげているものを書いておきましょう。
牧水:
とほり雨朝のダリアの園に降り青蛙などなきいでにけり(『別離』)
茂吉:
五月の陽てれる草野にうらがなし青蛙ひとつ鳴きいでにけり(『赤光』)
牧水:
落葉炊くあをきけむりはほそぞそと木の間を縫ひて夕空へ行く(『別離』)
茂吉:
墓はらのとほき森よりほろほろと上るけむりに行かむと思ふ(『赤光』)
牧水:
手枕よ髪のかをりよ添ひぶしにわかれて春の夜を幾つ寝し
茂吉:
ほのぼのと目を細くして抱かれし子は去りより幾夜か経たる(『赤光』)
牧水:
火の山にしばし煙の断えにけりいのち死ぬべくひとのこひしき
茂吉:
ひさかたの悲天のもとに泣きながらひと恋ひにけりいのちも細く(『赤光』)
牧水:
少女子のむねのちひさきかなしみに溺れてわれは死にはててけり
茂吉:
あはれなる女の瞼恋ひ撫でてその夜ほとほとわれは死にけり(『赤光』)
牧水:
ほこり湧く落日(いりひ)の街をひたはしる電車のすみのひとりの少女(をとめ)
茂吉:
夜おそく電車の中に兵ひとりしづかに居(を)るはなにかさびしき『あらたま』
牧水:
そこ知らず思ひ沈みて真昼時一樹の青のたかきにむかふ
茂吉:
旅を来てかすかに心の澄むものは一樹のかげの菎蒻ぐさのたま 『あらたま』
本林氏はもとよりこれらの対比は作品の評価とは別」と述べています。私としては、特に「その夜ほとほとわれは死にけり」の言い切りには特異な感じを抱いていたので、牧水の影響があったというところに納得を覚える次第です。
以上は本林勝夫氏の以下の本を参考にしました。
