佐藤佐太郎が斎藤茂吉の短歌より代表作に一首ずつ解説、表現技法や、鑑賞のポイント、解説を書き加えたものをまとめました。
佐藤佐太郎は、斎藤茂吉の門人、弟子だった人で、その解説は、鑑賞のポイントを的確に示す上で優れていると同時に、師の作品への深い理解と尊敬に基づいたものです。
斎藤茂吉の作品をよりよく理解するために、代表作と対照の上お読みになることをおすすめします。
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斎藤茂吉の短歌の鑑賞と解説(上)『赤光』『あらたま』解説 佐藤佐太郎
斎藤茂吉の短歌の鑑賞と解説 (下)[あらたま」「白き山」解説 佐藤佐太郎
出典は記載のない部分は「斎藤茂吉三十首鑑賞」からです。
その他の出典は、引用の末尾に記載しています。
岩波書店刊「茂吉秀歌」から抜粋をまとめたものです。
この本は、今では絶版で手に入りにくくなっています。
斎藤茂吉の短歌の鑑賞と解説「茂吉秀歌」1赤光・ あらたま
斎藤茂吉の短歌の鑑賞と解説「茂吉秀歌」2つゆじも・ともしび
斎藤茂吉の短歌の鑑賞と解説「茂吉秀歌」3たかはら・白桃・暁紅
斎藤茂吉の短歌の鑑賞と解説「茂吉秀歌」4暁紅・白き山・つきかげ
歌集の評や解説などです。
斎藤茂吉『赤光』『あらたま』歌集の評と解説について~佐藤佐太郎
単純化についての説明と解説~斎藤茂吉の記述から 佐藤佐太郎
佐藤佐太郎について
さとうさたろう【佐藤佐太郎】 1909‐87(明治42‐昭和62)
歌人。宮城県大河原町に生まれ、幼少時代を茨城県平潟町で過ごし、上京して岩波書店店員となる。1927年初めて斎藤茂吉に会い、その門人となる。都会生活に沈湎(ちんめん)する青春のメランコリーと、社会全体を浸す1930年代の鬱屈した時代的空気とを鋭敏繊細な感覚でとらえ、処女歌集《歩道》(1940)によって早くも歌壇の新しい旗手としての地位を確立した。
茂吉の唱える〈短歌写生説〉の実行をめざした属目(しよくもく)は詠嘆に間違いないが、内向的な資質にも導かれ、《しろたへ》(1944)、《立房》(1947)、《帰潮》(1952)など各歌集ごとに自然観照を深めていき、しばしば周囲から社会性や歴史感覚の欠如を批判されながらも、頑固に自己歌境を守りつづけ、老年期に及んでからは漢詩的世界に自在の境地を見いだした。
佐藤佐太郎の言葉
私は斎藤先生に師事し、念々に先生の歌にまねんで薫染せんことを希(ねが)つてゐる。それゆえ私の歌は先生の模倣に終始するものと謂っていい。
「薫染」とは、香気が他に染み込むところから、よい感化を受けるという意味ですが、模倣でよいとする、そのような謙虚な心持ちをもって、佐太郎は茂吉に師事したのでした。
歌を詠む上で、そのような師に巡り合うとは、間違いなく一つの幸せであったろうと思います。いつもこの箇所を思い出すと、尊くうらやましい気持ちになります。