うごきゐし夜(よる)のしら雲のなくなりて高野(たかの)の山に月てりわたる
斎藤茂吉『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
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斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」
うごきゐし夜(よる)のしら雲のなくなりて高野(たかの)の山に月てりわたる
読み:うごきいし よるのしらくもの なくなりて たかののやまに つきてりわたる
歌の意味と現代語訳
動いていた夜の白い雲がなくなって空が晴れ、高野野山に月が照り渡っている
歌集 出典
「ともしび」大正14年
歌の語句
・うごきゐし……「動く+ゐる」の複合動詞
・「ゐし=いし」は「いた」の過去の意味で、品詞分解すると 「ゐる」+過去の助動詞「き」の連体形
・夜…ここでは「よる」と読ませている
・しら雲…白雲 白い雲のことだが、夜の暗い中のことであるから、その白さが見えるという点に注意
・高野の山…高野山
表現技法
一首の表現で目につくところ、表記についてを2か所挙げる
「夜」を「よる」と読ませる工夫
夜を「よ」とはせずに「よる」として、2句が6音の字余りとなっている。なぜあえて夜としたのかというと、『短歌雑記帳』宮地伸一氏が下のように指摘している
「夜(よる)のしら雲の」は、破調にしないで「夜(よ)のしら雲の」でもいいはずだが、ここはゆるやかな声調の効果をねらって「夜(よる)の」としたものと見える
「しら雲」のひらがな表記
白い雲であるので、「白雲」でよいようだが、なぜ「しら雲」なのかも興味をそそられるところ。
「白桃」を「しろもも」と読ませる、「ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり」も参考になるかもしれない。
鑑賞と解釈
比叡山上で、アララギの歌会、安居会(あんごえ)がも押され、出席した時の折、高野山での歌。
仏法僧鳥の声を聞くために奥の院に行った夜の景色を詠んだものらしい。
「夜のしら雲」というのは、夜にも見える雲であり、この時点で月の光を部分的に受けた、白く輝くような白雲であったことを、作者が後に記している。
この時の作者の表記は、「白雲」であるので、歌の方の表記で「しら雲」と記したのは、何らかの意図があったと考えられる。
茂吉の得意作
宮地伸一氏は、「この歌は、茂吉の得意作であった」と記している通り、作者の細かい解説が下にある。
時間の経過
一首はある一点の瞬間を詠んだものではなくて、雲が動いていたところから、その雲がなくなったとして、時間に幅がある。それを「うごきゐし」から「無くなりて」撫でで表しているのだが、雲の動きであるから緩やかなもので、その幅がある空の変化を上句で簡潔に表す。
雲と山と月
その雲が亡くなった空に、それまでは雲の一部分だけを照らしていた月が、空の月の近くの雲ではなく、その下の山全体を照らすというもので、雲と山と月の位置関係と、その時間的変化を、端的に言い表している。
作者本人が「得意作」としたのも、上のような理由であろう。単純で簡潔にある意味複雑な情景を言い表し、その表現が、風景のある種の日本的な美しさと、一枚の絵葉書に収まるような完結に胸が透く思いが湧くともいえる。
また、一連の他の歌にも雲を詠んだ
日一日(ひひとひ)もだりたりける雲たえて月あかあかと山をてらしぬ
というのもあって、類似の情景を詠ったものと推察される。
斎藤茂吉自註『作家四十年』より
夜の白雲にも特色があり、白く輝くような白雲である。第3句の「無くなりて」もそのとき苦吟したのであるが、後に気づけば、左千夫先生のにもあり、古歌にもあるのであった。
「つきてりわたる」の如き直線的単純な句は、かえって難しいのであるが、「高野野山に」で特殊2生きたようである。この歌もどこかに仏教的神秘的なところがあっていい。 --斎藤茂吉自註『作家四十年』
「無くなりて」の前例
佐藤佐太郎は、上の斎藤茂吉の「無くなりて」の前例について、伊藤左千夫と西行の下の歌をそれぞれ挙げている。
伊藤左千夫
「かすかなる息のかよひも無くなりてむくろ悲しく永劫(とは)の寂(しづ)まり」
西行
「燈火(ともしび)のかかげぢからも無くなりてとまるひかりをまつわが身かな」
佐藤佐太郎の評
「月てりわたる」という単純で爽やかな言い方は日本語の長所であるが、「高野の山に」がついて初めて個性的になったのである。
しかしさらにこの下句は、上句によって生きもし、死にもする。「むづかしい」というのはその意味である。この歌では上句がやはり見事である。
自註に言うように「夜の白雲」の輝くような明るさがこれだけで特殊で美しい。そのあとの月光と言うので、いよいよ清澄深秘な空気が暗示されることになる。
作者はそういうことを計算して表現したのではないが、直感が深いからおのづからそういう結果になっている。
「無くなりて」という3句は、晴れた夜空であるのを思えば、無欲率直で、しかも的確でもある。-「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
一連の歌
空海の まだ若かりし 像を見て われ去りかねき 今のうつつに
金堂に しまし吾等は 居りにけり 山にとどろく 雷聞きながら
うごきゐし 夜のしら雲の 無くなりて 高野の山に 月照りわたる
まゐり来て 高野の山の くらやみに 仏法僧といふ鳥を聞く
はるけくも 黒ずむ山の 起伏の つひのはたてに 淡路島みゆ
はるばると のぼり来りし 五人は 雲より鳴れる 雷を聞き居り
ひさかたの 雲にとどろきし 雨はれて 靑くおきふす 紀伊のくに見ゆ
父こふる 石堂丸の あはれさも 月あかき山ゆ きつつおもふ
いにしへに ありし聖は 青山を 越ゆく弥陀に すがりましけり
みなみより 音たてて来し 疾きあめ 大門外の 砂をながせり
たかのやま 奥のながれに 掛かりをる 無明の橋も 吾等わたりつ
のぼりつめ 来つる高野の 山のへに 護摩の火むらの 音ひびきけり
くにぐにの 城にこもりし 現身も 高野の山に 墓をならぶる
紀伊のくに 高野の山に 一日ゐて 封建の代の 墓どころ見よ
いく山ごえ 佛の山に 砂あさき みづの流は 心しづけし
日一日 みだりたりける 雲たえて 月あかあかと 山をてらしぬ
時のまと おもほゆるまに 南より 大き雲こそ 湧きいでにけれ
おしなべて ものの常なき 高山の 杉の木立に 雲かかりけり
年ふりし いまの現に たかのやま 魚焼く香こそ ものさびしけれ
ひる未き 高野のやまに 女子と 麥酒を飲み ねむけもよほす
紀伊のくに 高野の山の 雨はれて 嘴太の鴉 めのまへをゆく