ともしび

目のまへの雑草なびき空国にもの充つるなして雨ぞ降りゐる「ともしび」斎藤茂吉

目のまへの雑草なびき空国にもの充つるなして雨ぞ降りゐる

斎藤茂吉『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『ともしび』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。

斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。

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目のまへの雑草なびき空国にもの充つるなして雨ぞ降りゐる

読み:めのまえの あらくさなびき むなぐにに ものみつるなして あめぞふりいる

歌の意味と現代語訳

目の前に広がる雑草が雨風になびかせながら、空との間の空間に物を満たそうと雨が降っている

歌集 出典

斎藤茂吉『ともしび』 大正15年

歌の語句

・雑草・・・読みは「あらくさ」。あれて乱れた草。生いしげった雑草

・なびき・・・基本形「なびく」

・空国・・・読み「むなぐに」 古語の意味では「荒れてやせた不毛の土地」のことだが、ここでは、地面から空への空間のこと

もの充つるなして

・もの充つる・・・「もの」名詞 助詞の「は」が省略。

・「充つる」は基本形「充つ」の連用形

「なす」
・なして・・・基本形「なす」
意味は、 他の動詞の連用形に付いて》[成・為] (故意に)そうする

・「ぞ」は強意の助詞

・降りゐる・・・「ゐる」は連用止め

表現技法

・初句「目のまへ」は、「まなかい」の言葉を使わず、「まへ」はひらがなを用いている

・「雑草」のあらくさは「荒草」が元の言葉か。

・「もの充つるなして」は8文字の字余り

・「降りゐる」の連用止めにも注意

 

鑑賞と解釈

大正15年作。梅雨の歌の三首の歌の第一首。

一首のポイントは3句以下の「空国にもの充つるなして」にある。

空国は日本書紀から

この「空国」は、地面から空までの間の空間のことだが、語源は日本書紀の「膂宍の空国」、読みは 「そしし‐の‐むなくに」。

「膂宍」とは背中のことで、背中のように肉のない、痩せて荒れた土地のことを言うらしい。

作者斎藤茂吉の注解

特殊な表現なので、作者の言葉を先に引くと

「寒い寒いと言っているうちに、生い茂る雑草の上に思い切り雨が降るようになった。その様子を『空国にもの充つるなし」と形容がしたが、これは当時の自分に自然に言わしめた形容詞であった。」

となっている。

場所は病院が焼失した後の、空き地の辺で、そこに雑草が生い茂っていることを詠んだ三首のうちの一首で、焼け跡には、「思いきり雨が降り」「去年も今年も思いきり雑草が生い茂った」と作者が解説している。

火災の後の土地

かつて建物があったところが、火事で建物が焼けてしまった。その空間という意識が「空国」という言葉を思い出させたのだろう。

そして、かつての病院がなくなって思うさま雑草が茂る荒廃した土地の、その空間に何者かがその空虚を埋めるかのように、雨を降らせている、そのような作者の物の見方を表している。

実際の情景は、ただ雑草の上に、雨が強く降っているということだけなのだが、そこに病院を早く再建したいとする作者の願望が大きく反映しているので、上のような表現になったのである。

表現の解説

「雑草」と「空国」という和語の重なりに強い印象があるため、それ以外の部分「目のまへの」は単純なひらがなを含む語で初めている

「もの充つるなして」は8音で字余りだが、文字通り、有り余るほど、空間を満たす雨をその8文字が体現するだろう。

そのあとは、「雨ぞ降りゐる」と単純に収めているが、「ゐる」との連用止めにして、雨の継続性を強めている。

「雨ぞ」の「ぞ」は強意の助詞であり、空間を満たすが程と思われる、雨のある程度の強さも推しはかられるだろう。

「目のまへの雑草なびき」の副詞句は「降りゐる」にかかるため、たけだけしい雑草をも抑え、なびかせるほどの雨の勢いであることが推察されるが、降ったのは雨であり、荒廃した背景には変わるところがない。

神話的でありながら無常を感じさせる一首。単なる雑草ではなく、火災での消失の後の雑草だからこそ、それが作者の胸に大きな無常感を引き起こしたのであろう。

また、下に示すように、島木赤彦の死にも最初と最後に繰り返し触れられている。

なお、佐藤佐太郎は、この歌の前に「墓原の空にみなぎり時のまに降りくる雪をあはれといはむ」の「空にみなぎり」が「同じようなものの見方であった」としてあげている。

この一連の歌

目のまへの雑草なびき空国にもの充つるなして雨ぞ降りゐる
真夏の来むかふときに青木草のしげりがなかに建ちもとほろふ
むなしき空にくれなゐに建ちのぼる火炎のごとくわれ生きむとす

 

斎藤茂吉自註『作家四十年』より

「寒い寒いといっているうちに、生い茂る雑草の上におもいきり雨が降るお湯になった。その様子を「空国にもの充つるなし」と形容したが、これは当時の自分に自然に云わしめた形容詞であった。

第二首、病院の焼け跡には去年も今年も、おもいきり雑草が生い茂った。そこで雑草の歌が多いのである。下句は乞食の歌あたりから来ている。結句として特有の落ち着きである。(中略)この心境は、必ずしも病院のことのみに関せず、親友の病没に関連していた。(--『作歌四十年 自選自解 斎藤茂吉』

 

佐藤佐太郎の解説

地以上の空間から天空を込めて「空国」といったので、その形容は突飛なようだが、現実に対していて自然に生まれた形容詞だといっているのである。

空間及び天空はものの充実していない部分、すなわち空虚である虚空であるが、そこに充ち満ちるような趣で、雨が降りそそいでいるというのである、密度のある雨が風もない空間を充実させ、地上の草をなびけて降っているところである。

こういう観相は、たとえば中国の詩に「彩翠満空虚」などというように似た発想はあっても、茂吉のこの歌ほどの力と新しさはないだろう。芭蕉俳諧の「八九間空で雨降るやなぎかな」等でも距離がある。

--「茂吉秀歌」佐藤佐太郎




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