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虹たちし空もありつつ北ぐにのとほき横手のかたに雨降る 平福百穂を詠んだ斎藤茂吉の短歌

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平福百穂(ひらふくひゃくすい)の命日は10月30日のきょう、平福百穂は日本画家ですが、アララギ派の歌人でもあり、斎藤茂吉をはじめ島木赤彦、中村憲吉他のアララギ派の歌人と交流、大きな影響を与えました。

平福百穂との関係で詠まれた斎藤茂吉の短歌をご紹介します。

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平福百穂と斎藤茂吉

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平福百穂(ひらふくひゃくすい)は、明治10年、秋田県角館生まれ。

同じく日本画家であった父の後を継いだ画家でしたが、短歌もたしなんだアララギ同人で、きょう10月30日が命日となります。

斉藤茂吉とも深い交流があり、斎藤茂吉の短歌には、平福百穂と共に詠んだものや、平福を詠んだ作品が多数見られます。

ちなみに、斎藤茂吉は上京する前には画家になろうかと考えたことがあるくらいで、絵もたいそう上手で関心があったようです。

斎藤茂吉の短歌から平福百穂に関連するものをあげていきます。

 

斎藤茂吉の「七面鳥」の短歌

第2歌集『あらたま』の連作「七面鳥」、これは、平福の庭で詠まれた点でも有名です。

冬庭に百日紅の木ほそり立ち七面鳥のつがひあゆめり

穏田(おんでん)にいへゐる絵かき絵をかくと七面鳥を見らくあかなく

穏田の絵かきの庭に歩み居(を)る七面鳥をわれも見て居り

「穏田」は東京都の青山穏田のこと、地名です。

一連の中の佳作は

十方(じつぽう)に真ぴるまなれ七面の鳥(とり)はじけむばかり膨れけるかも

茂吉本人が気に入っていたものが、下の歌です。

七面鳥ひとつひたぶるに膨れつつ我のまともに居たるたまゆら

平福が庭で、画題にしようと飼っていたもので、平福がスケッチをする傍ら、斎藤茂吉は、歌で七面鳥の写生をする短歌を詠んだのでしょう。

 

平福百穂と長崎旅行

牛の背に畠つものをば負はしめぬ浦上人(うらかみびと)は世の唄うたはず

歌集「つゆじも」における、長崎旅行の作品。

赴任中の茂吉を長崎を訪ねた平福百穂も同行しています。

この歌の詳しい解説は
牛の背に畠つものをば負はしめぬ浦上人は世の唄うたはず斎藤茂吉『つゆじも』短歌代表作品

 

平福百穂を看取る斎藤茂吉の短歌

平福百穂は、その後兄の危篤の報に秋田県横手に駆けつけた際に自らも梗塞に倒れます。

知らせを聞いて急きょ秋田県に病臥する平福を訪ねた茂吉の痛切な見舞いの歌です。

山の茸(きのこ)うづたかく盛り売る町に我が悲しみを遣らふ方なし

日をつぎて君をみとれど明けきみ心はなし悲しきろかも

はるばると君をたづねて来たまひし友の幾たりにわれは告げ居り

朝ざむき横手の町に山のものつらなめて売るころに逢ひつつ

すくよかに君はありなばいかばかりこの朝町のたのしからまし

まだ覚めぬ君を目守りて一言もつひに告げねば旅ゆかむとす

横手よりしらせがありてひとりなる旅のやどりに涙しながる

 

痛切な一連ですが、知らせを受けて急いで秋田へ駆けつけたものの、病人はすでに精神状態もうつろで、話ができない状態であったことがわかります。

ぎりぎりまで滞在して、茂吉は東京に帰ろうとしますが、その途中で泊まった宿に訃報の知らせを受け取ったようです。

 

虹たちし空もありつつ北ぐにのとほき横手のかたに雨降る

北ぐにのゆふべの空にたつ虹をあはれと思ふこころさへなし

 

平福百穂墓参りの短歌

昭和22年6月、斎藤茂吉が短歌大会講師として秋田に行った際に、平福百穂の墓参りをしています。

『白き山』の「角館」の一連より

おのづから心平らになりゐたり学法寺なるおくつきに来て

この学法寺には、同じく日本画家であった平福穂庵、百穂父子の墓があります。

 

白浜のなぎさを踏めば亡き友のもはらごころの蘇へりくる

常なしと吾もおもへど見てゐたり田沢湖の水のきはまれるいろ

平福百穂は茂吉の数少ない親しい友人であり、共にアララギで同じ時代を歩んだ一人でした。

平福記念美術館

平福百穂の作品を展示した、平福記念美術館が秋田県にあります。

〒014-0334 秋田県仙北市角館町4−4

平福百穂の命日にちなんで、友人であった斎藤茂吉の短歌をご紹介しました。

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