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斎藤茂吉『あらたま』短歌全作品 テキストのみ解説なし

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大正四年 1小竹林 2雑歌 3朝 4春雨 5折りにふれ 6雉 7寂しき夏 8漆の木 9渚の火 10海浜雑歌 11 雨後 12折々の歌 13冬の山「祖母」其の一 14こがらし「祖母」其の二 15道の霜「祖母」其の三

1 小竹林

ひるさむき光しんしんとまぢかくの細竹群(ほそたかむら)に染みいるを見む
ひとむらとしげる竹むら黄に照りてわれのそがひに冬日かたむく
冬さむき日のちりぢりに篁の寒きひかりを見むとし思ふ
ひとむきに細篁をかたむけし寒かぜのなごりふかくこもりつ
入日さすほそたかむらをそがひにし出で入る息を愛(かな)しみにけり
ひとときを明るく照りしたかむらにこもるしえづかさや夕づきにつつ
愛(かな)しめるいのちをもちて冬の日の染むたかむらに遠ざかりつも

2 雑歌

野の中の自づから深き赤土(はに)どこに春さりくれど霜をむすぶに
日のひかりの隈なきに眠る豚ひとつまなこをひらく寂しとぞいはむ
しづかなる冬木のなかのゆづり葉のにほふ厚葉に紅のかなしさ
汗たらし朝坂上る荷ぐるまの轍おもいきり霜柱つぶす
けむりのぼる砲工廠(ほうこうしょう)の土手のへに薄はしろく枯れにけるかも
あが母の吾(あ)を生ましけむうらわかきかなしき力おもはざらめや
ははそはの母をおもへば仮初に生れこしわれと豈(あに)おもはめや
水のへにかぎろひの立つ春の日の君が心づまいよよ清しく
あわ雪のながれふる夜のさ夜ふけてつま問ふ君を我は嬉しむ
きぞの夜に足らひ降りけむ春の雪つまが手とりてその雪ふます
いばらきの大津みなとに篝火(かがり)たき泊(は)てたる船にをさなごのこゑ
幾朝か軍器工場の境内(きょうない)に霜しろきを見つつ我は来にけむ
富坂をよこにくぐりて溝(どぶ)のみづ砲工廠(ほうこうしょう)に入りにけるかも
機関銃の音のするどき境内をのびあがり見れば土手ふくれ見ゆ

3 朝

ほがらほがらとひかりあかるき朝の小床に眼をあきて居りにけり
きぞの夜の戸閉わすれて寝(いね)しより朝てる光のなかに寝てゐつ
ありのままねむり目ざめし室中(へやなか)の光たむろに飛ぶものもなし
ほそほそと女のこゑすわが室に誰(たれ)か来るかとおもひけるかも
うつしみは誰も来ずけり頭彫り光かむりて眼あき居り
朝早く溜まる光にかがやきてえも言はれなき塵をどり居り
かうべを照らす朝日子のつくづくとうづの光に塵をどる見ゆ
光に微塵をどりてとどまらず肉眼もちて見るべかりけり

4 春雨

外面には雨のふる音かすかなりこころ静かに二階をくだる
春雨は降りて幽(かそ)けしこの夜半に家のかひ馬の目ざむる音す
春の夜の雨はふりつつ聞こえくる家の小馬の前掻(まへかき)のおと
しづかなる夜とおもふに現なる馬ちかくゐて嚏(はなひ)るきこゆ
春雨の音のしながら幽かにてさ夜ふけと夜はふけにたるらし
春雨はくだちひそまる夜空より音かしかにて降りにけるかも
外面には春雨あはれに音しつつさ夜更(ふく)れどもわれは寝なくに
かりそめの病といへど心ほそりさ夜ふけて馬のおとをこそきけ
日を経つつ心落ちゐぬ我ながら今夜しづかにすわりて居らな
この夜半に目ざめたる者のひとり居てむかうの室に咳(しはぶ)けるかも
かかる夜半に独言いふこゑきこゆ寝るに堪へあらむ狂者ひとりふたり
しづかなる夜半に心の澄み遊ぶいよよ痛きを人知るらむか
外面にはほそ春雨のふりやまずさ夜ふけて割れば目ざめゐにけり

5 折りにふれ

目のまへの電燈の球を見つめたり球ふるひつつ地震ゆりかえる
きょういんのにほひただよふ長廊下まなこみひらき我はあゆめる
夜の床に笑ひころげてゐる女(おんな)わがとおれどもかかわりもなし
馬子ねむり馬は佇む六月の上富坂をつかれてくだる
たらたらと額より垂る汗ふきて大きいのちもつひに思はず

6 雉

おたまじゃくしコンコンとして聚合(かたま)れる暁森の水のべに立つ
宿直してさびしく醒めし目のもとに黒きかへるご掘りてうごかず
朝みづにかまたりひそむかへるごを掻きみだせども慰みがたし
こらへゐし我のまなこに涙たまる一つの息の朝雉のこゑ
朝森に悲しく徹る雉子のこゑ女の連をわれおもはざらむ
尊とかりけりこのよの暁に雉子(きぎす)ひといきに悔しみ啼けり
大戸よりいろ一様の著物きてものぐるひの群外光にいづ
ひさびさにおのづからなる我がこころ呆けし女(をみな)にものいひにけり

7 寂しき夏

真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも
まかがよふ浅茅が原のふかき昼向かうの土に豚はねむりぬ
ひじろがぬわれの体中(みぬち)は息づけり浅茅の原の真昼まの照り
停電の街を歩きて久しかり汗ふきをれば街の音さびし
墓地かげに機関銃のおとけたたましすなはちわれは汁のみにけり

8 漆の木

たらたらと漆の木より漆垂りものいふは憂き夏さりにけり
ぎぼうしゆに愛(かな)しき小花むれ咲きて白日光に照され居たり
いそがしく夜の廻診をはりきて狂人もりは蚊帳を吊るなり
のびのびと蚊帳なかに居てわが体すこし痩せぬと独言いへり
履(くつ)のおと宿直室のまへ過ぎてわが体とほくかすかになるを聞きつつ
ものぐるひの屍(かばね)解剖の最中(もなか)にて溜りかねたる汗おつるなり
うち黙し狂者を解体する窓の外の面にひとりふたり麦刈る音す
狂人に親しみてより幾年か人見んは憂き夏さりにけり
しんとして直立(すぐだち)厚葉ひかりたるあまりりすの鉢に油虫のぼる
ぬけいでし太青茎の茎の秀(ほ)にふくれきりたる花あまりりす
あまりりす鉢の土より直立(すぐだ)ちて厚葉かぐろくこの朝ひかる

9 渚の火

まかがよふ真夏渚に寄る波の遠白波の走るたまゆら
真夏日の海のなぎさにもえのぼる炎のひびき海人(あま)はかこめり
六人の漁師が囲(かく)みあまりをる真昼渚の火立(ほだち)のなびき
くれなゐにひらめく火立を真昼間の渚の砂に見らくし悲し
まかがよふ昼のなぎさに燃ゆる火の澄み透るまのいろの寂しさ
すき透り低く燃えたる浜の火にはだか童子は潮にぬれて来
旅を来て大津の浜に昼もゆる火炎(ほのほ)のなびき見すぐしかねつ
いばらきの大津みなとの渚べをい行きもとほり一日わらはず

10 海浜雑歌

腹あかき舟のならべる浜の照り妻もろともにつかれけるかも
みちのくの勿来へ入らむ山がひに梅干ふふむあれとあがつま
日焼畑いくつも越えて茎太のこんにやく畑にわれ入りにけり
うらわかき妻はかなしく砂畑の砂はあつしと言ひにけるかも
みちのくへあが嬬(つま)をやりて足引(あしびき)の山の赤土道(はにみち)あれ一人ゆく
みちのくに近き駅路(えきみち)日はくれて一夜ねむるとねむりぐすり飲む
平潟へちかづく道に汗は落つ捨身あんぎゃの我ならなくに
いりうみの汐落ちかかる暁方の舟のゆれこそあはれなりけり
くもり日のくぼき砂畑に腰を延す女見にけり海のなかより
外海(がいかい)にそへる並木路ひたはしる郵便脚夫の体ちひさし
眉ながき漁師のこゑのふとぶとと泊(は)てたる舟にものいひにけり
松並木の松ふとりつつ傾けり鉛のごとくうみ曇る見ゆ
いばらきの浜街道に眠りゐる洋傘(かうもり)売りを寂しくおもふ
隊道(とんねる)のなかに牛立つ日のくもりわれ疲れつつ来りけるかも

11 雨後

あさまだき道玄坂をくだり来て橋をわたれりさかまけるみづ
朝川はにごりてながる榧(かや)のは濡れて垂(しだ)れり水にとどかず
渋谷川うづまき流るたまおとほりうづまく水を見れど飽かぬかも
家むかうの欅のうへにほびこりし雲は光りて雨ふらむとす
さ庭べに並びて高き向日葵の花雷(らい)とどろきてふるひけるかも
雨はれて心すがしくなりにけり窓より見ゆる白木槿(しろむくげ)の花
雨はれしのちの畳のうすじめり今とどまりし汽車立つきこゆ
雨はれしさ庭は暗し幽かにてこほろぎ鳴けば人もかなしき

12 折々の歌

亀戸の普門院にて三年経し伊藤左千夫のおくつきどころ
墓に来て水をかけたり近眼の大き面わの面影に立つ
水ぐさの円葉(まろは)の照りをあはれめり七月ひるのおくつきどころ
冬服をはじめて著たる日は寒く雨しとしとと降りつづきけり
とほく来し友をうれしみ秋さむき銀座の店に葡萄もちて食む
五番町に電車を降りて雨しぶく砂利路(ざりみち)ゆけど寂しくもなし
みちのくのわぎへの里にうからやから新米(にひごめ)たきて尊みて食む
いやしかるみ民の我も髯そりてけふの生日(いくひ)をあふがざらめや

13 冬の山「祖母」其の一

おのづからあらはれ迫る冬山にしぐれの雨の降りにけるかも
ものの行とどまらめやも山峡の杉のたいぼくの寒さのひびき
まなかひにあかはだかなる冬のしぐれに濡れてちかづく吾を
いのちをはりて眼をとぢし祖母(おほはは)の足にかすかなる皹のさびしさ
命たえし祖母(おほば)の頭(かうべ)剃りたまふ父を囲みしうからの目のなみだ
蝋の火のひかりに赤しおほははの棺の上の太刀鞘(ざや)のいろ
朝あけて父のかたはらに食す飯(いひ)ゆ立つ白気(しらいき)も寂しみて食す
さむざむと暁に起き麦飯(むぎいひ)をおしいただきて食ひにけり
ゐろりべにうれへとどまらぬ我がまなこ煙はかかるその渦けむり
あつぶすま堅きをかつぎねむる夜のしばしば覚めてかなしき霜夜は
日の入のあわただしもよ洋燈(らんぷ)つりて心がなしく納豆を食む
土のうへに霜いたく降り露なる玉菜はじけて人音もなし
おほははのつひの葬り火田の畔(くろ)に蛼(いとど)も鳴かぬ霜夜はふり火
終列車のぼりをはりて葬り火をまもる現身のしはぶきのおと
愁へつつ祖母はふる火の渦のしづまり行きて暁ちかからむ
冬の日のかたむき早く櫟原こがらしのなかを鴉くだれり
ここに来てこころいたいたしまなかひに迫れる山に雪つもる見ゆ
いただきは雪かもみだる真日くれてはざまの村に人はねむりぬ
山がはのたぎちの響みとどまらぬわぎへの里に父老いにけり

14 こがらし 「祖母」其の二

あしびきの山こがらしの行く寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも
高原にくたびれ居れば山脈(やまなみ)は雪にひかりつつあらはれ見え来
はざまなる杉の大樹(だいじゅ)の下闇にゆふこがらしは葉おとしやまず
時雨ふる冬山かげの湯のけむり香に立ち来りねむりがたしも
あしびきの山のはざまに幽かなる馬うづまりて霧たちのぼる
棺のまへに蝋の火をつづ夜さむく一番どりはなきそめにけり
山形の市にひとむれてさやげどもまじはらむ心われもたなくに
むらぎもの心もしまし落ゐたり落葉のうへを黒猫はしる
冬の山に近づく午後の日のひかり干栗(ほしぐり)の上に蠅ならびけり
ぢりぢりとゐろりに燃ゆる楢の木の太根はつひにけむり挙げつも
おほははのつひの命にあはずして霜深き国に二夜ねむりぬ
せまりくる寒さに堪へて冬山の山ひだにいま陽の照るを見つ
きのこ汁くひつつおもふ祖母の乳房にすがりて我(あ)はねむりけむ
稚(おさな)くてありし日のごと吊柿(つりがき)に陽はあはあはと差しゐたるかも
あら土の霜の解けゆくはあはれなり稚きときも我は見にしが
ふるさとに帰りてくれば庭隅(にはくま)の鋸屑(おがくず)の上にも霜ふりにけり
夕されば稲かり終へし田のおもに物の音こそなかりけるかも

15 道の霜 「祖母」其の三

山峡(やまがひ)にありのままなる道の霜きえゆくらむかこのしづけさに
つくづくとあかつきに踏む道の霜きぞのよるふかく降りにけるかな
山こえて山がびにゆく道の霜おのづからなる凝りの寒けさ
山がひのあかつきの道いそがねど霜照る坂をわれ越えにけり
たか腹に澄みとほりたる湖をはるかに見つつ峡間(はざま)に入らむ
あしび木の山よりいでてとどろける湯ずゑのけむりなづ見て上らず
炭竈をのぞきて我はあかあかと照り透りたる炭木を見たり
炭がまに炎のぼらず見ゆるものけむりの渦のひまに見ゆるを
おほははのみ霊のまへに香つぎて?児なりし我をおもへり
この身はもかへらざらめやおほははを火炎(ほのを)に葬り七夜を経たり
みやこべにおきて来たりし受持の狂者おもへば心いそぐも

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