斎藤茂吉の短歌には仏教用語や、仏典に由来を持つ言葉がしばしば見られます。歌集『赤光』の題を含め、斎藤茂吉と仏教の関わりは、どのようなものだったのか、また仏教と関連の見られる短歌作品をまとめます。
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斎藤茂吉と仏教
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斎藤茂吉の短歌には仏教用語や、仏典に由来を持つ言葉がしばしば見られます。
そのような傾向は、斎藤茂吉の初期の作品に顕著に見出すことができます。
歌集『赤光』のタイトル
たとえば、斎藤茂吉の処女歌集『赤光』のタイトルは、経典にある言葉をそのままとって名付けたものです。
これについては、斎藤茂吉自身が、『仏説阿弥陀経』の『地中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔・・・』の部分からとったことを『作歌四十年』においても明かしています。
『赤光』はその内容で、当時の短歌のベストセラーとなったため今では何の違和感もありませんが、タイトルがお経というのは、いくらか不思議ではないでしょうか。
経については、他にも、
という歌も『つゆじも』にあります。
これは、斎藤茂吉の育ち方に因するところがあるといえます。
斎藤茂吉の生家は山形県の農家で、その隣には、宝泉寺というお寺と学校があり、そこの住職であった窿応和尚という人物に、茂吉は2年間教育を受けており、様々な感化を受けたようです。
お経の声が、毎日寺から聞こえてくるような生活が自然であったと考えられます。
また、両親も仏教だけではなく、山岳信仰も持っており、信心深いという生家の雰囲気もあったようです。
茂吉は、その父に倣い、息子茂太を伴って後年出羽三山詣でもしています。
それが茂吉の故郷の風習であったからです。
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斎藤茂吉と仏教の関わり
斎藤茂吉の弟子であった佐藤佐太郎は、茂吉と仏教との関わりを下のように述べています。
こういうことを突如としていうのは、茂吉が仏教信仰の厚い家に生い立ち、隣家に当たる宝泉寺に出入りして和尚の感化を受けたためであり、また中学時代から愛読した幸田露伴の影響でもある。茂吉の仏教的傾向を土屋文明は「感覚的仏教主義」といっているが、厳密な意味での信仰ではなく、宗派などにも拘らず、ただ仏教的なものが性に合うという牽引を終生感じていたのであったろう。
この解説は、斎藤茂吉の初期の習作である、「月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒は出でず虫鳴けるかも」について書かれたものです。
この時のお題は「虫」であって、それに対して、暗い夜から「弥勒」という連想をしています。
冒頭の「こういうことを突如としていうのは」というのは、茂吉にとって「弥勒」の連想は、さして突飛な事ではなかったのでしょう
「死にたまふ母」と仏教的啓示
そして、『赤光』の仏教関連の歌は、「死にたまふ母」のツバメの歌にもあります。
この時の景色にも、斎藤茂吉は「仏教的な感銘」を感じたと言い、下のように説明。
さてこの一首は、何か宗教的なにおいがして捨てがたいところがある。世尊が涅槃に入る時にも有象がこぞって嘆くところがある。私の悲母が現世を去ろうという時、のどの赤い玄鳥のつがいが来ていたのも何となく仏教的に感銘が深かった。―斎藤茂吉著 『作歌四十年』
他に「目をひらきてありがたきかなやくれなゐの大日(だいにち)われにちかづきのぼる」(『赤光』)の葉は譲りの素朴な信仰心、「わが父も母もなかりし頃よりぞ湯殿のやまに湯は湧きたまふ」の山の擬人化、神格化など、父譲りの山岳信仰に通じるものもうかがえます。
仏教由来の熟語を含む斎藤茂吉の短歌
それ以上に、作品鑑賞において目を引くものは、仏教由来の熟語でしょう。
この「懺悔」は「さんげ」と仏教でいう「罪障懺悔(ざいしょうさんげ)」のことだそうで、「サンゲ」と読ませています。
他に、『あらたま』には、
父母所生(ふもしょじょう)の眼ひらきて一いろの暗きを見たり遠き松風
この夜は鳥獣魚介もしづかなれ未練もちてか行きかく行くわれも
ほのぼのと諸国修行に行くこころ遠松かぜも聞くべかりけり
平潟へちかづく道に汗は落つ捨身(しゃしん)あんぎゃの我ならなくに
これらの言葉を含む第二歌集『あらたま』は、仏教的という以上に、藤沢周平が述べたように「文学的」な印象も与えることになっています。
この時期には、『梁塵秘抄』の影響が大きく見られ、その二次的な摂取もあったと思われます。
通常、短歌は漢語の熟語は敬遠されることが多く、『あらたま』では逆に、「諸行無常」を「ものの行とどまらめやも」と言い換えたことを語っているものもあります。
しかし、この時の茂吉は、これらの四文字熟語を積極的に用いており、それらの言葉が独特の印象を加味しています。
慈悲心鳥の秀歌
鳥の名前を入れた『つゆじも』にも、仏教的なニュアンスが一首を支えている歌があります。
「慈悲心鳥」は、仏教に直結するわけではなく、鳥の名前なのですが、「慈悲」というのも、仏教徒の関連語です。
「暗さ」と仏の不在は、最初の虫の「月落ちて…」の歌とも共通するモチーフで、ずっと継がれてきたイメージであることがわかります。
故郷のよすがとなる仏教
個人的には、斎藤茂吉と仏教との関わりは、故郷を追想させるものであったところに根があると思います。
『赤光』の収録から落ちた短歌に、「ありがたの仏も知るらにばば君とあかき灯ともし吾も念仏すも」というものがあります。
『赤光』のタイトルはこのような背景があって生まれていることもわかります。
東京に養子に入ってからの斎藤茂吉の生活は、そのような生活とは一変してしまいます。
頼るものもなく、新しい規律やモラルがそこで与えられますが、それは今までとは全く違ったものであったことでしょう。
斎藤茂吉の初期の短歌において、仏教とその信仰心は故郷や離れてしまった両親を思い出させるよすがであった気がします。