斎藤茂吉『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。
他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『ともしび』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。
斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。
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午前二時ごろにてもありつらむ何か清々しき夢を見てゐし
読み:ごぜんにじ ごろにても ありつらん なにかすがすがしき ゆめをみていし
歌の意味と現代語訳
午前2時ごろだったかもしれない。何かすがすがしい夢を見ていた
歌集 出典
「ともしび」大正14年
歌の語句
- ごろにても… 格助詞「にて」+格助詞「も」 「でも」の意味
- ありつらむ…ある+つらむの用語解説
- 「つらむ」は連語、《完了の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「らむ」》…てしまっているだろう。…ただろう。
- いし… 「いた」 「いる」+過去の助動詞「き」の連用形
表現技法
3句切れ
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斎藤茂吉『ともしび』短歌代表作品 解説ページ一覧
鑑賞と解釈
病院と自宅の全焼の後、作者は再建のため、資金の金策にはしらねばならず、ひじょうに大変な時で、楽しい気分に等なりようがないときであった。
それなのに、夢の中では、普段の生活とは違って、不思議にすがすがしい気持ちになっている自分がいたということへの感慨である。
「午前2時ごろにてもありつらむ」は、夢を見た日時のことを言っているのだが、夢の内容ではなく、夢を見ていたことそれ自体の具体性を表している。
それと同時に、逆に時間ははっきりと、現実における時刻としての手掛かりとしてとらえられるけれども、夢の実態は「何か清々しき」という程度の認識しかなく、夢の実体は曖昧であるということを、逆にその言葉によって対照させている。
つまり、現実と夢とのコントラストが、時間を示すことで、はっきりと浮かび上がる仕組みとなっている。
塚本邦雄は、「午前・二時ごろにても・ありつらむ」の、初句三音の破調について、「2音の不足が、短夜の、深夜の寝覚めの唐突感を如実に伝えて効果的だ」と注意している。
この初句が5音であったら、この効果の「味」は消え失せるとまで言っているのがおもしろい。
斎藤茂吉の自註
こういう苦しい濁ったような生活をしているが、ゆうべ2時ごろに見た夢は、はればれとした清爽な夢であった。かなsくも不思議なことである。また夢の世界は面白いものである(『作歌四十年』)
佐藤佐太郎の評
「午後2時にてもありつらむ」と言うように、簡単なことをのびのびと、飾らずにいう語気が独特である。また「夢の世界はおもしろい」といっているが、それは夢も生の一部であるという受け取り方が根底になっている。
そういう作者だから味わうことのできるおもしろさ、詠嘆の語気であるといってもよい。「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
一連の歌
なにがなし心おそれて居(ゐ)たりけり雨にしめれる畳のうへに
Munchen(ミユンヘン)にわが居(を)りしとき夜(よる)ふけて陰(ほと)の白毛(しらげ)を切りて棄(す)てにき
午前二時ごろにてもありつらむ何か清々(すがすが)しき夢を見てゐし
焼あとに迫(せま)りしげれる草むらにきのふもけふも雨は降りつつ
今日(けふ)の日(ひ)も夕ぐれざまとおもふとき首(かうべ)をたれて我は居(を)りにき