ひた走るわが道暗ししんしんと怺へかねたるわが道くらし
斎藤茂吉『赤光』から主要な代表歌の解説と観賞です。このページは現代語訳付きの方です。
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ひた走るわが道暗ししんしんと怺へかねたるわが道くらし
読み:ひたはしるわがみちくらししんしんとこらえかねたるわがみちくらし
現代語訳
一心に走る私の道は暗い。しんしんと身に迫るものに堪えかねている私の道は暗い
意訳:ひたむきに走り続ける夜更けのこの道は暗い。身に迫る悲しみをこらえかねて走る私の行く手の何と暗いことか。
出典
『赤光』大正2年 12 悲報来
歌の語句
ひた走る・・・「ひた」は動詞や動詞の連用形名詞の上に付いて、いちずに、ひたすら、の意を表す。
表現技法
2句切れ
「わが道暗し」の反復
「しんしんと」は虚語。
解釈と鑑賞
伊藤左千夫逝去の報に長野の島木赤彦を急ぎ訪ねた。
7月30日夜、信濃国上諏訪に居りて、伊藤左千夫先生逝去の悲報に接す。すなはち予は高木村なる島木赤彦宅へ走る。時すでに夜半を過ぎたり
の詞書がある。
左千夫と対立していた茂吉は、『赤光』をもって師の批評を受けたいという願いはかなわなかった。
佐藤佐太郎の解説
いても立ってもいられないような、焦燥の気持ちをあらあらしく強く歌っている。
こういうひたむきな強烈さは、やはり『赤光』の佳境の特色のひとつである。「わが道暗し」は作者の行く夜半の道であるが、おのずから人間的な感慨が参加しているだろう。
歌は、単にせっぱつまったという気持ち以上の混乱をふくんでいる。特に「怺へかねたる」から「わが道くらし」と続けた下句は切実でよい。
「しんしんと」の用法も微妙で、「死に近き母に添寝の」の歌と同じように、一首に暈のようなものが添っている。(「茂吉秀歌」佐藤佐太郎)