葬(はふ)り道すかんぼの華(はな)ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から其の3の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。
※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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葬り道すかんぼの華ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや
現代語での読み:ほうりみち すかんぼのはな ほおけつつ ほうりみちべに ちりにけらずや
出典
『赤光』「死にたまふ母」 其の3 3番目の歌
歌の語句
- 葬り道…野辺送りの道。葬列が通る道。
- すかんぼ…別名すかんぽ。スイバ。タデ科の多年草。雑草の一種。 春から夏にかけて薄緑また紫がかった小花が穂状に咲く
「ほほけつつ」の品詞分解
「ほおける」。読み同じ。漢字は「蓬ける」
けば立って乱れることで、花が開ききった様子。盛りを過ぎて綿状になっているさま。
「つつ」は動作・作用が今も進行・継続していることを表す接続助詞。
「散りにけらずや」の品詞分解
動詞「散る」+完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」+詠嘆の助動詞「けり」未然形+打消しの助動詞「ず」+「や」疑問の助詞
意味は「 … したではないか。… しているではないか。」
句切れと表現技法
- 句切れなし
- 「ほ」の音の連続
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の其の3 3首目の歌。
野辺送りの時に目に入った風景を詠んでいる。
母を焼く火葬場のようなところは、田の中にあり、雑草の生える素朴な田舎道を棺を担いで人々が歩いて行く。その行程が「野辺送り」というもの。
「ほ」の音の連続
「ほおりみち はな ほおけつつ ほおりみちべに」と「葬り道」を繰り返した他、「ほ」の音を韻を踏むように続けている。
酸模の開ききって、めしべの穂がふわふわと風に舞うかのような状態を、「ほ」の連続で、ふわふわした語感を表現する。
そのような定まりのない、虚脱したような気分が、母を亡くした後の作者の心情でもあるのだろう。
「結句の散りにけらずや」の意味
「結句の散りにけらずや」の「けらずや」は、斎藤茂吉の他の歌にもみられる。
狂じゃ一人蚊帳よりいでてまぼしげに覆盆子(いちご)食べたしといひにけらずや
赤彦と赤彦が妻吾に寝よと蚤とり粉を呉れにけらずや
-いずれも『赤光』より
品田悦一氏の解説だと、一番上の歌に関して、
「…ではないか」と読者に念を押した句法ですが、初めて聞かされた話に念を押されても読者は返答に窮するのではないでしょうか。なんとも居心地の悪い、違和感を掻き立てる句法だと思います。―品田悦一著『異形の短歌』
同じ箇所は文学大系の解説だと
散りにけらずや…散っているではないか。「や」は反語の終助詞
とされている。
一連の歌
楢若葉(ならわかば)てりひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青く生(あ)れぬ山蚕は
日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲し山蚕は未(いま)だ小さかりけり
葬(はふ)り道すかんぼの華(はな)ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや
おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我(われ)ら行きつも
わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし