たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から主要な代表歌の現代語訳付き解説と観賞を記します。
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たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや
読み:たまゆらに ねむりしかなや はしりたる きしゃぬちにして ねむりしかなや
現代語訳
ちょとのあいだ、私は眠ってしまったよ。走っている汽車の中でこんな時にも眠れるものだなあ
出典
『赤光』「死にたまふ母」 其の1
歌の語句
- たまゆらに…束の間 少しの間
- 汽車ぬち…「ぬち」は中。例)「部屋ぬち」
「眠りしかなや」品詞分解
動詞「眠る」+過去の助動詞「き」の連用形+かな(詠嘆の助動詞)+や(詠嘆の終助詞)
※「き」は、「し」と活用する
句切れと表現技法
- 2句切れ
- 反復
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の中の一首。母の住む故郷への駅と汽車に乗っている間の様子を詠む歌。
母の危篤の報を受けた作者が急いで電車に乗り、座席に座るとやや落ち着いて、束の間の眠りに落ちる。
母の元へ一刻も早く駆け付けたい作者は、ふと我に返り、眠っていた自らの状態を思い返し、このような大事に眠ったことを自らいぶかしむその感慨を表す。
「かなや」は、眠っていたのかとの問い返しで、二回の繰り返しが、汽車に落ち着いてもなお焦る作者の性急な気持ちを表しているようだ。
品田悦一の一首評
品田教授はこの歌は「気づいてみると束の間まどろんでいたことに対する驚きがある」と述べ、他に、「かなや」の語法を、「物いはぬ四方の獣すらだにも哀なるかなや親の子をおもふ」源実朝作を典拠としたと述べている。(『異形の短歌』より)
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一連の歌
一連の汽車に関する短歌は、以下の通り
灯(ともし)あかき都をいでてゆく姿かりそめの旅と人見るらんか
たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや
吾妻(あづま)やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり
朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり
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