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うつせみのわが息息を見むものは窗にのぼれる蟷螂ひとつ 斎藤茂吉『小園』

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うつせみのわが息息を見むものは窗にのぼれる蟷螂ひとつ

作者は斎藤茂吉、第十五歌集『小園』より、疎開先の蔵座敷で蟷螂に話しかけるように詠まれた代表作の短歌の解説と観賞を記します。

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うつせみのわが息息を見むものは窗にのぼれる蟷螂ひとつ

読み:うつせみの わがそくそくをみんものは まどにのぼれる かまきりひとつ

歌の意味

生きている私の生活、一息一息を見ているものは、この窓に上ってきている蟷螂一匹だけだ

作者と出典

作者 斎藤茂吉  歌集『小園』残生 昭和20年

語句と文法 

  • うつせみ…古語の「現人(うつしおみ)」が訛ったもの。 転じて、生きている人間の世界、現世。 うつそみともいう
  • 息息…「呼吸」と同じ意味だが、ここでは生活の様子などを指す。中国語の漢詩由来のことばと思われる

句切れと修辞

  • 句切れなし
  • 体言止め




解説と鑑賞

歌集『小園』「残生」8首の中の一首。

「息息」

歌の力点は「息息」という特殊な言葉にある。

「息息」は呼吸の意味で、蘇東坡にある言葉だと佐藤佐太郎が指摘している。

文字通りにとれば、呼吸の一つ一つの意味だが、ここでは、疎開先で生活をしている自分の生活を間近に見ているもの、との意味と思われる。

この歌が詠まれたのは、疎開先の山形県で、斎藤茂吉は自宅を離れて蔵座敷に一人で生活をしていた。

世話をする身内はいたものの、孤独で話し相手もいない生活で、窓に見かけた蟷螂を見て、親愛の気持ちを感じたのも事実であったろう。

困難な生活ではあっても「息息」の表現が、感傷的にならず、「窗」の旧漢字の使用と相まって、独特の寂寥感を醸し出している。

佐藤佐太郎の評

疎開先の蔵座敷に起臥していたが、その生活を「うつせみのわが息息」といった。「息息」は「呼吸」の意で、このくらいの言葉は独力で考えられるが、もし、用例をあげれば蘇東坡にある。「息息安且久」(「午窗坐睡」)など。孤独で沈黙がちにいる自分の日常を「見むものは」人間ではない、昆虫の「蟷螂ひとつ」であるというのである。

作者は昆虫好きの人であったが、蟷螂は特に形体がいいし、ものを思うように頭を傾けたりするのも、愛嬌があるから、話しかけるようんい歌にしたのであろう。

そして歌は、悠々とした遊びの態度を保ちながら、言語堂々としている。堂々としているのが、傑作のひとつの条件である。

一連の歌

あかがねの色になりたるはげあたまかくの如くに生きのこりけり

来無はあるに穴をいづらむくちなはがこの石の上に何見えるらむか

目のまへに並ぶ氷柱にともし火のさす時心あらたしきごと

--『小園』「残生」




-小園

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