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斎藤茂吉の息子たち 作家の北杜夫と精神科医斎藤茂太

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斎藤茂吉の息子として有名なのが北杜夫さんと斎藤茂太さん。

北杜夫さんはどくとるマンボウの愛称で親しまれる作家、斎藤茂太さんは、その兄の精神科医です。

斎藤茂吉の子どもたちについてと、斎藤茂吉が子どもを詠んだ短歌をご紹介します。

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斎藤茂吉の息子 北杜夫

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北杜夫さんは、斎藤茂吉の次男に当たります。

斎藤家は、男性はほとんど精神科医で、斎藤茂吉の養父 紀一、斎藤茂吉に続く、3代目の医師となります。

もっとも、北杜夫さんは、その後文学の道に進み、どくとるマンボウの名前で親しまれる存在となりました。

北さんの作品の独特のユーモアは、父である斎藤茂吉のユーモアに似通ったものがあります。

北さん自身はそれを斎藤茂吉の「フモール」と呼んでいました。

斎藤茂吉の短歌については
斎藤茂吉の作品の特徴と作風「写生と実相観入」

斎藤茂吉の家族関係を詳しく
斎藤茂吉の家系図と家族 両親と養父母、子孫について

北杜夫プロフィール

北杜夫さんのプロフィールです

北 杜夫(きた もりお、本名:斎藤 宗吉(さいとう そうきち)、1927年5月1日 - 2011年10月24日)

小説家、エッセイスト、精神科医、医学博士。

祖父は医師で政治家の斎藤紀一。父は紀一の養子で、歌人で医師の斎藤茂吉。兄はエッセイストで精神科医の斎藤茂太。娘はエッセイストの斎藤由香。

北杜夫さんが、父斎藤茂吉を紹介した本「青年茂吉」「壮年茂吉」「茂吉彷徨」「茂吉晩年」の4冊シリーズは、茂吉の伝記として、大変面白く読めます。

身内の視点からではないと知り得ないこともあります。また、北氏の父に対する深い尊敬の念も伝わります。

もう一冊「楡家の人々」は斎藤家の歴史を追った長い伝記小説です。

斎藤茂吉が主人公ではありませんが、実際の家族が登場人物です。

 

斎藤茂太は茂吉の子ども(長男)

 

斎藤家の長男。「茂太」は「モタさん」の相性の方が知られていますが、本名は「しげた」です。

斎藤家に生まれて、家業である病院を継ぐべく精神科医になりました。

斎藤茂吉に関する、精神科医から見た小論文風の文章があり、その中で、斎藤茂吉の性格をクレッチマーの性格分類から「粘着気質」と書いたために、茂吉の性格を語る際に、よくこの言葉が使われるようになりました。

結婚したのちも茂吉と同居し、晩年は茂吉は茂太の子どもである孫茂一たちと過ごすことを楽しみとしていました。

旅にかかわる優れた著作を表彰する「斎藤茂太賞」が一般社団法人日本旅行作家協会によって創設されています。

 

斎藤茂吉の息子を詠んだ短歌

主に斎藤茂太氏を詠んだ歌が最初の頃に見られます。

うつうつと空は曇れり風邪ひけるをさなご守りて外(と)に行かしめず

おのづから心足らはずひたぶるにむづかり泣く児を立ちて見に来し

窓のへにいとけなき子を立たしめてわが向(むか)つへの森を見てを

をさなごは畳のうへに立ちて居りこの幼子は立ちそめにけり

をさなごはつひに歩めりさ庭下の土ふましめてかなしむわれは

悲しさを歌ひあげむと思へども茂太を見ればこころ和むに

をさなごをこころにもちて帰りくる初冬のちまた夕さりにけり

かわききりたる直土(ひたつち)に氷(ひ)に凝(こご)るひとむら雪ををさなごも見よ

この日ごろ人を厭へりをさなごの頭(かうべ)を見ればこころゆらぐを

をさなごの頬の凍風(しもやけ)をあはれみてまた見にぞ来しをさな両頬(もろほほ)
―以上『あらたま』より

・・・

北杜夫氏を詠んだ短歌

北杜夫氏が、自分を詠んだ歌として紹介しているものが

あはれあはれ電のごとくにひらめきてわが子等すらをにくむことあり

押入れにひそむこの子よ父われの悪しきところのみ受継ぎけらし

があります。

次女昌子を詠んだ歌

山荘に来た子供たちの中の、次女昌子さんを詠んだ歌とされています。

隣り間に噦して居るとめごよ汝父親はそれを聞き居る

兄弟たちを詠んだ歌

斎藤茂吉の子どもたちの様子を詠んだ歌です。

母がダンスホール事件で別居、父親として密な接触を持った折に詠まれました。

をさなご児の飯(いひ)くふ見ればこのゆふべはつかのハムをうばひ合ふなり
―『白桃』より

たらちねの母のゆくへを言問ふはをさなき児等の常と誰かいふ

わが帰りをかくも喜ぶわが子等にいのちかたぶけこよひ寝むとす

以上、斎藤茂吉の二人の息子、北杜夫さんと斎藤茂太さんら子どもを詠んだ短歌についてご紹介しました。




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