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斎藤茂吉と古泉千樫 アララギの友人でもっとも親密な交流

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古泉千樫(こいずみちかし)はアララギ派の歌人で、斎藤茂吉とはもっとも親しい友人でもありました。

古泉千樫と斎藤茂吉の交流と、古泉千樫を詠んだ短歌をご紹介します。

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斎藤茂吉と古泉千樫

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古泉千樫は、1886年千葉県生まれ。大変に早熟だったと言われ、伊藤左千夫の選歌欄に短歌を投稿したのがきっかけで、アララギに入門しました。

そこで、同じく、伊藤左千夫に師事するようになった斎藤茂吉他の知己を得ます。

同年代の島木赤彦、中村憲吉などと交流、なかでも、斎藤茂吉とは、もっとも親しく行き来をしていたと伝えられています。

「赤光」や「あらたま」には、実際に茂吉を千樫が訪ねていると思われる歌や、茂吉の妻と3人で旅行をしたことも詠まれています。

斎藤茂吉の古泉千樫評

初期の千樫について、斎藤茂吉は、千樫は伊藤左千夫の膝下に侍したためばかりでなく、「アララギ」の編集の仕事などにも早くから携わったために、歌の進歩も特に早かったと述べています。

斎藤茂吉の古泉千樫を詠んだ短歌

斎藤茂吉の古泉千樫を詠んだ短歌は、交流の密であった『赤光』からみられます。

古泉千樫を詠んだ短歌を以下にご紹介します。

 

あが友の古泉千樫は貧しけれさみだれの中をあゆみゐたりき

大正元年の作品。「さみだれ」より。

おそらく、古泉千樫は、傘を持っていなかったのではないかと思われる内容です。

 

我友(わがとも)は蜜柑むきつつしみじみとはや抱(いだ)きねといひにけらずや

こちらの「我友」が、千樫のこと。

斎藤茂吉の部屋で、妻について語らった時の様子のようです。

結婚前のおさな妻てる子と、「早く寝てしまえよ」という助言があった(のではなかったか)というような内容ですが、上句の「蜜柑むきつつしみじみと」がいかにも友人との場面のようで、微笑ましいところがあります。

古泉千樫は、その後アララギを脱退したため、交流は途絶えますが、交際を回顧する歌はその後も続きます。

 

あがつまと古泉千樫と三人して清きこの浜に一夜ねにけり

第二歌集『あらたま』の三崎行の一首。

斎藤夫妻と古泉千樫と3人で旅行をしたとありますので、親しい中はこの頃も続いていたのです。

 

よろこびて歩(あり)きしこともありたりし肉太(ししぶと)の師(し)のみぎりひだりに

歌集『ともしび』より。

「小泉千樫君を弔ふ」の詞書がついています。

「肉太(ししぶと)の師」とは、49歳で早世した伊藤左千夫のことです。

師を囲んで並んで歩いたこともあったのに、その二人ともすでに世にないという嘆きを詠ったものです。

 

浅草のみ寺にちかく餅(もちひ)くひし君と千樫(ちかし)とわれとおもほゆ

『寒雲』昭和14年の歌。

この「君」も伊藤左千夫のこと。

師と歌で結ばれた古泉千樫との結びつきは、生涯斎藤茂吉の心に残っていたと思われます。




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