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こもり波あをきがうへにうたかたの消えがてにして行くはさびしゑ/斎藤茂吉

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「こもり波あをきがうへにうたかたの消えがてにして行くはさびしゑ」斎藤茂吉『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。

このページは現代語訳付きの方です。語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『ともしび』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。

斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。

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こもり波あをきがうへにうたかたの消えがてにして行くはさびしゑ

読み:こもりなみ あおきがうえに うたかたの きえがてにして いくはさびしえ

歌の意味と現代語訳

うねる波の青い流れの上に白い水泡が消えがたいようにして流れていくのを見るとさびしい心持がするものだ

歌集 出典

「ともしび」大正14年 木曾鞍馬渓10首

歌の語句

こもりなみ……淵の流れのうねりを表した作者の造語

あをき…「青い」の名詞形

うたかた…白い泡のこと

消えがてにして…「がて」 は分類連語
「…できないで」「…られないで」

さびしゑ…「ゑ」は「え」 感嘆詞

表現技法

「ゆったりとした万葉調」(茂吉自註)で、「うたかた」の古語、「さびしゑ」の用法などから、全体に古調となっている。

「こもり波」の後は主格の格助詞「は」(または「の」)が省略されていると思われるが、印象的な造語で、ここで句切れのように発音されることも想定されているだろう。

 

鑑賞と解釈

この歌は島木赤彦との競詠の歌の一部で、木曾福島から木曾鞍馬渓、氷が瀬に遊んだ折、鞍馬渓で見た景色を詠んだもの。

こもり波」と印象的な造語で始まり、青い淵を上流から流れてきた白い泡が消えずに流れていく様子を、「消えがてにして」として、泡に命や意志があるかのようにとらえて表現したところが良い。

同じ情景を、島木赤彦は

岩あひにたたへ静もる青淀のおもむろにして瀬に移るなり

と詠んでいる。

そこから察するに、実際もこの流れはゆっくりしたものであり、それが歌の調べの「ゆつたりとした」(茂吉)の声調にそのまま表されているのだろう。

斎藤茂吉自註『作家四十年』より

鞍馬渓の歌で、白い水の泡、すなわち「うたかた」がいつまでも漂いながら、結局流れて行ってしまう趣である。この歌の調べが、ゆったりとした万葉調であった。

佐藤佐太郎の評

茂吉は「うたかたの消えがてにして行く」ところを見、赤彦は「青淀のおもむろにして瀬に移る」ところを見て、共に自然観照の方向において一脈相通ずるところがあり、その観照の深さにおいてほとんど差がない。

「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

一連の歌

あはれとぞ声をあげたる雪てりて茂山(しげやま)のひまに見えしたまゆら

こもり波あをきがうへにうたかたの消えがたえにしてゆくはさびしゑ

鶺鴒のあそべる見れば岩淵にほしいままにして隠ろふもあり

山がはのあふれみなぎる音にこそかなしき音は聞くべかりけれ

やまこえて細谷川(ほそたにがは)に住むといふ魚(うを)を食ふらむ旅のやどりに




-ともしび

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