この心葬(はふ)り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも
斎藤茂吉『赤光』から主要な代表歌の解説と観賞です。このページは現代語訳付きの方です。
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この心葬(はふ)り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも
読み:このこころ ほうりはてんと ほのひかる きりをたたみに さしにけるかも
現代語訳
この心の気持ちを葬り去ろうとして、刃先の光る錐を畳に刺したのであったよ
出典
『赤光』 「おひろ」より
歌の語句
・葬り果てん…読みは「ほうりはてん」
「葬る」が基本形 「果てん」は「果てる」に未来の助動詞「む」をつけたもの
・秀…「ほ」《「穂 (ほ) 」と同語源》 外形が人目につきやすく突き出ていること。また、そのもの。
万葉集にもある古語
・錐…「きり」工具のキリのこと
刺しにけるかもの品詞分解
- 「刺す」…サ変動詞
- 「に」…断定の助動詞「なり」の連用形
- 「ける」基本形「けり」 〔詠嘆〕…だった。…だったのだなあ。…ことよ。
- 「かも」詠嘆の終助詞
修辞と表現技法
句切れなし
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の「おひろ」の一連の中にある歌。
鬱屈した青年の思いを代弁するかのようなダイナミックな行為が描かれている。
背景に恋人「おひろ」との別れ
おひろは、斎藤家の使用人のように出入りしていた娘で、斎藤茂吉の恋人。
まだ結婚もしておらず、養子として暮らしている家の中で、唯一打ち解けることのできる相手であり、恋人でもあった。
しかし、その関係が発覚、養子となった斎藤家の娘輝子と婚約中の身であったので、おひろ養父によって無理やり離れ離れとなってしまった。
当時の茂吉の立場としては、やむを得ない措置だったが、単に、別離の寂しさというだけではなく、養父に対しても、もっと様々な思いが去来したに違いない。
そのような「こころ」をすべて消し去ろうという試みが、「錐を畳に突き刺す」行為であったと思われる。
上句の「このこころ葬りはてんと」がすべてを物語っていよう。
全44首
斎藤茂吉の「おひろ」 悲恋が生んだ大作 全短歌現代語訳付
塚本邦雄の評
塚本邦雄はこの歌の中の行為についての普遍性を述べている。
一首はこれで自立し、読者の経験、想像力、直観に応じで、様々にあそれ以前、それ以後を思い描き、おのが身に引き比べることも可能である。「この心」」はその時著しい広がりと含みを持ち、特にかかる衝動に駆られやすい若者にアピールする。(後略)
錐を畳に突き刺す前後にはこのような心の動き、行為の揺れが見られる。いづれも悩みをやらうよすがにはなっていない。錐をたたみに突き刺したとして、いかほど決意が高まろう。
「茂吉秀歌」塚本邦雄著より
一連の他の歌
とほくとほく行きたるならむ電燈を消せばぬばたまの夜も更けぬる
ほのぼのと目を細くして抱かれし子は去りしより幾夜か経たる
あさぼらけひとめ見しゆゑしばだたくくろきまつげをあはれみにけり
しんしんと雪ふりし夜にその指のあな冷たよと言ひて寄りしか
この心葬りはてんと秀の光る錐を畳に刺しにけるかも
ひんがしに星いづるとき汝が見なばその目ほのぼのとかなしくあれよ
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