雲のうへより光が差せばあはれあはれ彼岸すぎてより鳴く蝉のこゑ
斎藤茂吉の第十一歌集『暁紅』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
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雲のうへより光が差せばあはれあはれ彼岸すぎてより鳴く蝉のこゑ
読み:くものうへより ひかりがさせば あはれあはれ ひがんすぎてより なくせみのこえ
現代語訳と意味
雲の上から光が当たれば、ああ、彼岸が過ぎた今日、鳴く蝉がいてその声がする
歌集 出典
斎藤茂吉『暁紅』
歌の語句
- うへ…読みは「うえ」。漢字は「上」の旧仮名遣い表記
- 差せば…確定条件
- あはれあはれ…感動詞 「ああ。あれ」の意味
- 彼岸…彼岸は9月23日が中日。それ以降
句切れと表現技法
句切れなし
体言止め
鑑賞と解釈
歌集『暁紅』の「秋日」一連にある一首。
彼岸を過ぎて、忘れていた頃に、ふと蝉の声が聞こえる。
一匹のみ遅くに生まれ、また生き残った蝉があることがその声によって知れる。
弱弱しいはずの蝉が、秋づいた淡い日光を感じ取って鳴くというのが一首の内容だが、自然が秋に向かうときに、単独でのその懸命さに作者は心を動かさせる。
遅く生まれたのは蝉自身のせいではなく、一つの偶然であり運命だが、作者はその運命を享受する弱いものの姿を蝉の上にも見ているのだろう。
「あはれあはれ」は「ああ」という詠嘆の感動詞で、蝉が空の光に反応して鳴くことを言っている。
同時に、空の光に蝉が鳴くのと、蝉の声に呼応して「ああ」と作者が感嘆するところに、蝉と一体になったかのような相対的な反応が見て取れる。
単に、季節外れの蝉の声がした、というだけの出来事の叙述にとどまらず、作者があたかも、その蝉になったかのような相対的な反応が一首の隠れた眼目である。
これも、斎藤茂吉自身の言葉でいう「実相観入」に近いものがある。
斎藤茂吉自註『作家四十年』より
秋の彼岸が過ぎもう蝉がいなくなったと思っていると、天が晴れて思い出したように蝉がひとつ鳴いている。天然微妙で、計り知られぬものがあっていい」(作者自註)
佐藤佐太郎の解説
作者の自註に付け加えていうと、曇り日だが、雲が動いて薄日の漏れる時があるのを上句はいっている。自註で「天が晴れて」といっているが、もっと微妙な光線であることを一二句は感じさせる。
そういう弱い光線にも反応して鳴くので「あはれあはれ」という詠嘆がある。また、鳴くのは「つくつくぼふし」だが、彼岸過ぎに鳴くのは稀な例であるからここにも「あはれあはれ」が関係してくる。―「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
「暁紅」の一連の歌
ゆふぐれのかぜ庭土をふきとほり散りし百日紅(ひゃくじつこう)の花を動かす
戦史家が心こめて記したるサンカンタン戦をわれも読みたり
雲のうへより光が差せばあはれあはれ彼岸すぎてより鳴く蝉のこえ
しづかなる秋日となりて百日紅(さるすべり)いまだも庭に散りしきにけり