けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬りたるかな
斎藤茂吉『赤光』から主要な代表歌の解説と観賞です。
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けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬りたるかな
(読み)けうもまた むかいのおかに ひとあまた むれいてひとを ほう「りたるかな
歌の意味と現代語訳
今日もまた向いの丘に人がたくさん群れていて誰か亡くなった人を葬ったのだなあ
作者と出典
斎藤茂吉 『赤光』大正元年 7折々の歌
歌の語句
・群れゐて・・・群れていて
・葬りたるかな・・・「葬り」ほうりと読む。たるは足りの連用形
・かなは詠嘆の終助詞
句切れと表現技法
句切れなし
解釈と鑑賞
青山にあった茂吉の家は谷を隔てて青山墓地に面していた。
作者は「きわめて露骨な現実的なことだが、結句の葬りたるかな」と「かな」などを用いて幾分柔みをつけている」
そのあとは「受け持ち患者」のことを詠んでいるので、職業柄人の死に多く接しながら鋭敏なところもあったのだろう。
北杜夫によると、当時の病院は患者の死が毎日のように起こったそうで、茂吉も管理の問題など現実的な意味で心を痛めていたのであったに違いない。
作者の焦点は、下に佐太郎の言う「客観」視にあったようだ。
佐藤佐太郎の評
谷をへだて距離を持って見る「向ひの岡」の「葬り」には、細部が没してただ人の群れと、その象徴的な動きだけが見えている。(中略)死をとむらう生者の行為の寂しさというものが、現実のやや遠い風景として客観されているところに作者の感動がある。(「茂吉秀歌」佐藤佐太郎)
同じ青山墓地にて詠んだ「夏の夜空」の歌は、木下杢太郎が「今まで人の省みなかった美しさを発見したものだと言ってほめたという。
杢太郎とは交際があり、茂吉の歌もその詩の影響を受けた。
一連「夏の夜空」他
墓原に来て夜空見つ目のきはみ澄み透りあるこの夜空かな
なやましき真夏なれども天(あめ)なれば夜空は悲しうつくしく見ゆ