みちのくに病む母上にいささかの胡瓜を送る障りあらすな 「障り」に二通りの解釈が生まれ、斎藤茂吉自身が解説。
斎藤茂吉の歌集『赤光』から主要な代表歌の鑑賞を一首ずつ記します。
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みちのくに病む母上にいささかの胡瓜を送る障りあらすな
読み:みちのくに やむははうえに いささかの きゅうりをおくる さわりあらすな
現代語訳
故郷の東北に住む、病気の母に、ほんの少しの胡瓜を送る 支障なく届きますように
出典
『赤光』 「折々の歌」
歌の語句
- みちのく…東北のこと 斎藤茂吉の生家は山形県にある
- 病む母上…病気で療養中の母 「母上」は自らの母を敬称で呼ぶ
- いささかの…ほんの少しの わずかな
障りあらすなの品詞分解と語句
「障り」には、以下の二通りの意味がある.
-
差し支え。じゃま。妨げ。支障。
-
病気になること。また、からだのぐあいなどに悪い影響を与えることやもの。
そのため、この歌には、複数の解釈が生まれることとなった。以下は「解説」に。
修辞と表現技法
4句切れ
解説と鑑賞
故郷を詠んだ歌の三首のうちの一首。
当時の中学校の教科書にも、掲載されている。
故郷では珍しい時期の胡瓜
胡瓜は、東京の方が山形よりも早くとれるため、早生のものを送ったのだろう。
おそらく、母の好みの野菜でもあったのではないだろうか。
新鮮でさわやかな生の野菜を食べて、少しでも元気になってほしいという作者の願いが見える。
なお、母の病気は、脳卒中の発作の後遺症であって、「死にたまふ母」に至る前の既往歴であった。
「障りあらすな」の解釈
「障りあらすな」には、胡瓜に対しての「障りあらすな」と、母の病気に対してと二つの解釈があり、発表当時から話題となった。
胡瓜が無事につくように」という解釈が一つのもので、もう一つは、母の病気=障りがないように、がもう一つ考えられるものである。
それに対して、作者は『作歌四十年』において、以下のように説明する。
この歌は、取り立てて云々すべきほどのものではないけれども、結句の「障りあらすな」の解釈につき、母に「障りあらすな」すなわち、「障りあらせたまふな」と解し、教師用参考書にもそう出ているのであったらしいのである。
然るに句法からいけば、「送った胡瓜に障あらしむな」と解釈すべきなので、そう解釈してはどうかといって、全国の少女から質問の手紙をもらったことは度々であった。
作者のつもりはやはり、「送った胡瓜に障りあらしめるな。無事に届いてくれ」というつもりであったのである。
しかし、「障りあらすな」は、「障りあらせ給ふなかれ」という敬語にも取れるので、解釈が二様になったのであった。
斎藤茂吉は、教師用の参考書に誤った解釈が掲載されたことについて、自らの歌の「欠点」と譲歩しながらも、「「病む母上に…障りあらすな」という解釈にも無理がある」と指摘している。
一連の歌
折々の歌より一連三首
みちのくの我家(わぎへ)の里(さと)に黒き蚕(こ)が二たびねぶり目ざめけらしも (故郷三首)
みちのくに病む母上(ははうへ)にいささかの胡瓜(きうり)を送る障(さは)りあらすな
おきなぐさに唇(くちびる)ふれて帰りしがあはれあはれいま思ひ出でつも