斎藤茂吉歌集の『白き山』より最上川の短歌一覧を掲載します。
斎藤茂吉のもっともすぐれた歌集『白き山』には、故郷の風景を詠んだ作品がたくさんあります。中でも最上川は最も多く題材となっています。
このページは、短歌のみ、最上川の代表作短歌とその解説と鑑賞は別ページに示します。
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斎藤茂吉の最上川の短歌
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『白き山』にある、斎藤茂吉の最上川の短歌一覧です。
『白き山』には「最上川」の語が入っている短歌が102首ありますが、岩波書店刊『斎藤茂吉歌集』に掲載されているものだけをこちらにあげておきます。
解説のページのあるものは、リンクを入れておきます。
※斎藤茂吉については
関連記事:
斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」
代表的な最上川の歌5首
最上川の歌はたくさんあるので、先に代表的な歌をあげておくとすると、下の5首です
ひがしよりながれて大き最上川見おろしをれば時は逝くはや
最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川
ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ
それぞれの短歌の意味を記します。
詳しくは各短歌の個別記事の方でご覧ください。
ひがしよりながれて大き最上川見おろしをれば時は逝くはや
意味:
「東側を流れていく大きな最上川、その川を見下ろすと、この川の流れのように時も過ぎていくのだなあ」
この歌について詳しく読む
ひがしよりながれて大き最上川見おろしをれば時は逝くはや【日めくり短歌】
最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片
意味:
最上川の上の空に残っているのは、まだ色褪せずに美しい虹の断片だ
※この歌について詳しく読む
最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片 斎藤茂吉『白き山』
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
意味:
最上川に白い逆波が立つほど、強い吹雪になってきたのだなあ
※この歌について詳しく読む
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも 斎藤茂吉『白き山』
やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川
意味:
病気が治った私は心が楽しい。この昼の日が高い時に紺色に流れる最上川を見ていると
※この歌について詳しく読む
やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川/斎藤茂吉「白き山」
ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ
意味:
戦争も病も超えて生きながらえてこうしてここにある私は、涙の出るまで最上川の美しい春をいつくしもう
※この歌について詳しく読む
ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ 斎藤茂吉『白き山』
最上川の歌一覧
ここから、歌集『白き山』にある、最上川の短歌です。
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きさらぎの日いづるときに紅色(こうしょく)の靄こそうごけ最上川より
四方の山皚々(がいがい)として居りながら最上川に降る三月の雨
わが病やうやく癒えて歩みこし最上の川の夕浪(ゆうなみ)のおと
ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ
ひむがしゆうねりてぞ来る最上川見おろす山に眠りもよほす
やみがたきもののごとしおもほゆる自浄作用は大河にも見ゆ
わが来つる最上の川の川原にて鴉羽ばたくおとぞきこゆる
最上川のおおきながれの下河原(しもがわら)かゆきかくゆきわれは思はな
最上川のなぎさに居れば対岸(かのきし)の虫の声きこゆかなしきまでに
病より癒えて来(きた)れば最上川狭霧(さぎり)のふかきころとなりつも
最上川ながるるがうへにつらなめて雁飛ぶころとなりにけるかも
最上川の支流は山にうちひびきゆふぐれむとする時にわが居つ
最上川のほとりをかゆきかくゆきて小さき幸をわれはいだかむ
ほがらほがらのぼりし月の下びにはさ霧のうごく夜の最上川
月読(つきよみ)ののぼる光のきはまりて大きくもあるかふゆ最上川
あまぎらし降りくる雪のおごそかさそのなかにして最上川のみづ
最上川の流のうへに浮かびゆけ行方なきわれのこころの貧困
つつましきものにもあるかけむるごと最上川に降る三月のあめ
わがまへに逆巻き手をる最上川そのあかきみづの音ぞきこゆる
最上川の鯉もねむらむ冬さむき真夜中にしてものおもひけり
最上川ながれさやけみ時のまもとどこほることなかりけるかも
すこやかに家をいで来て見てゐたり春の彼岸の最上川のあめ
最上川海に入らむとかぜをいたみうなじほの浪とまじはる音す
黒鶫(つぐみ)のこゑも聞こえずなりゆきて最上川のうへの八月のあめ
歌集『白き山』について
『白き山』の説明文です。
斎藤茂吉の歌集で、もっともすぐれた歌集といわれるのが『白き山』です。
敗戦と戦争を支持する歌を詠んだことで二重の痛手を負った茂吉が東京の家と家族を離れ、老いと病、そして、孤独に身を置いた時期の歌を収録したものです。
上田三四二の『白き山』解説文より
斎藤茂吉の第16歌集。
茂吉は第二次世界大戦末期、郷里山形県金瓶(かなかめ)(現上山(かみのやま)市)に疎開し、46年1月大石田町に移って47年11月までそこにとどまった。
その大石田時代の作824首(第2刷および全集では850首)を収める。
心に敗戦の痛手を負い、身に肋膜(ろくまく)炎の重患を患った茂吉が、その心と身を郷国の風土に置いての詠唱で、沈痛にして澄明、ことに最上(もがみ)川の詠に秀歌が多い。「最上川逆白波(さかしらなみ)のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」。
晩年の代表歌集であり、茂吉の全歌集中の最高峰とされる。--上田三四二解説
最上川の短歌一覧と『白き山』の概説は以上です。