斎藤茂吉は虫が好きだったと思われます。古くから短歌に詠まれている秋の虫の声だけでなく、様々な虫たちが短歌に詠まれています。
きょうの日めくり短歌は啓蟄にちなみ、斎藤茂吉の虫の短歌をご紹介します。
虫が好きだった歌人斎藤茂吉
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斎藤茂吉は虫好きだったようです。山形の農村育ちだったためもあるかもしれません。
少年時代より親元を離れた書生として育ちましたので、東京において故郷を思わせるものも虫であったのかもしれません。
斎藤茂吉の虫の短歌をご一緒に鑑賞しましょう。
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春浅き麦のはたけにうごく虫 手(た)ぐさにはすれ悲しみわくも
歌集『赤光』より
麦畑に生れている虫。「手ぐさにする」というのは、手でもてあそぶことですが、早春の感傷がそれに続きます。
郊外に未(いま)だ落ちゐぬこころもて螇蚸(ばつた)にぎれば冷(つめ)たきものを
こちらは夏の歌。怒りか悲しみで心が落ち着かない作者の火照った手には、ばったが冷たいというのです。
をさな妻こころに守り更けしづむ灯火(ともしび)の虫を殺してゐたり
同じく歌集『赤光』 折に触れて 明治四十二年作より。
をさな妻というのは、婚約をしていたがまだ同居を許されていない、妻てる子のことです。
その妻を思って今宵もつつましくいようと思う作者なのですが、やはり、さびしい気持ちがあるのでしょう。
手持ち無沙汰に明かりに集まってくる虫を殺しているという場面です。
斎藤茂吉の蟋蟀を詠んだ歌
『赤光」では蟋蟀を詠んだ歌が一番多いです。
少年の流され人はさ夜の小床に虫なくよ何の虫よといひけむ
この「流され人」とは自分のことなのでしょう。
蟋蟀の音にいづる夜の静けさにしろがねの銭かぞへてゐたり
うらがれにしづむ花野の際涯(はたて)よりとほくゆくらむ霜夜こほろぎ
結婚前のいまだ書生であった茂吉には、孤独な夜は虫の声しか相対するものがなかった生活の様子がうかがえます。
斎藤茂吉の孤独と虫
わらぢ虫たたみの上に出で来(こ)しに烟草のけむりかけて我(わが)居(を)り
作者が一人いる時、「孤独に相対する虫」というテーマは、後の歌集にも引き継がれていきます。
うつしみのわが息息(そくそく)を見むものは窗(まど)にのぼれる蟷螂(かまきり)ひとつ
その代表的な作品。出典は歌集『小園』
戦争で家族を離れて疎開し、ひっそりと暮らしているその私の「息息」、これは呼吸のことですが、生きているその有様を見るのは、カマキリだけだよ、という意味の歌です。
相手が「人」ではなくて虫であるところに哀しみがあります。
ひる過ぎてくもれる空となりにけり馬おそふ虻(あぶ)は山こえて飛ぶ
もう一つ、斎藤茂吉の虫の歌でよく知られる歌。
山に登った時の山上の虻の様子を詠いますが、ダイナミックな動きをとらえています。
「馬おそふ」がなんとも恐ろし気です。
唐辛子の中に繭こもる微かなる虫とりいだし見てゐる吾は
出典は歌集『白桃』。
辛い唐辛子はそのままではとても食べられませんが、それを食べる虫がいるというところが一首の眼目です。
それに子どものような興味を引かれて、その虫を眺めているという歌。
そういえば、斎藤茂吉の息子であるドクトルマンボウこと北杜夫さんも無類の虫好きで、この歌にコメントしていたことが思い出されます。
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電燈の光とどかぬ宵やみのひくき空より蛾はとびて来つ
最後に蛾を詠った歌。
この歌は、なんとなく私の好きな歌なのですが、たぶん『ファーブル昆虫記』などの影響があるかもしれません。
茂吉が山の山荘に居る時に、光を慕って飛んでくる蛾の様子を詠ったもの。
歌集『つゆじも』にも 「高はらのしづかに暮るるよひごとにともしびに来て縋(すが)る虫あり」というのがあります。
山荘にこもるときにも、その孤独に寄り添うものはやはり虫であったのです。
きょうの日めくり短歌は啓蟄にちなみ、斎藤茂吉の虫の短歌を紹介しました。