長押なる丹ぬりの槍に塵は見ゆ母の辺の我が朝目には見ゆ
斎藤茂吉の代表作短歌集『赤光』の有名な連作、「死にたまふ母」の歌の現代語訳と解説、観賞を記します。
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斎藤茂吉の記事案内
『赤光』の歌一覧は、斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞にあります。
「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の語の注解と解釈も併記します。
他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『赤光』の歌の詳しい解説と鑑賞があります。
※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列していますので、合わせてご覧ください。
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長押なる丹ぬりの槍に塵は見ゆ母の辺の我が朝目には見ゆ
現代語での読み:なげしなる にぬりのやりに ちりはみゆ ははのべのわが あさめにはみゆ
歌の意味と現代語訳
長押に飾ってある赤い槍に塵がついているのが見える 朝の時間母の近くにいる私の視線から見える
注釈
一夜を明かした翌朝の初見 長押鴨居の下に横に渡した木 そこにかけられている朱塗りのやりにうっすら塵のかかっているのを見ているのである
「見ゆ」の繰り返しに古い家の歴史とその歴史の重みを背負って生きた母に対する感動がある―「日本近代文学大系 斎藤茂吉」注釈本林勝夫
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斎藤茂吉「死にたまふ母」全短歌作品 現代語訳付き解説と鑑賞
歌の語句
- 長押…鴨居の上につけた横木の部分
- 丹塗り…「丹」は赤い色のこと。漆塗りの槍
- 母の辺…「辺」は、母のあたりの意味
- 朝目…朝の目 朝目覚めて最初に目にしたもの。『古事記』にある古語
- 見ゆ…「見える」の文語 基本形
句切れと修辞・表現技法
- 3句切れ
- 反復
解釈と鑑賞
この時の母は、横になったまま動けずに、蔵座敷というところに寝かされていた。
長押には槍がかけてあって、母に夜通し添い寝をしている作者からは、目が覚めた時に見えたのが、そこにある槍であったというのが歌の意味になる。
そこからわかるのは、作者が病の重篤な母に添い寝をしたということであり、さらにこの歌は、一連の中の代表的な歌「死に近き母に添い寝のしんしんと」につながる前段となる。
「丹塗り」というのは、朱塗りのことで、槍が赤いことだが、赤は、斎藤茂吉のテーマカラーといえるものでもあって、好みの色である。
さらに、このあとの「のど赤き玄鳥二つ軒にいて」にも「赤」色の要素が含まれている他、やはりこの歌とも同じような構図にある。
一連の歌の構図を重要な歌に先んじて置いておくという点でも、大切な一首と言える。
母の死の前
「死にたまふ母」の解説で品田悦一氏は、「これから起こる、母の死」の前の束の間の静穏としてこの歌をとらえています。
「のど赤き」の赤
塚本邦雄は、「のど赤き」の歌と並べて、この歌の「赤」を茂吉は「この歌集の核であり、シンボルカラーである赤を隠顕させている」と解説。(『茂吉秀歌』塚本邦雄)
この短歌の前後の一連
はるばると薬(くすり)をもちて来(こ)しわれを目守(まも)りたまへりわれは子なれば
寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば
長押(なげし)なる丹(に)ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊(べ)の我が朝目(あさめ)には見ゆ
山いづる太陽光(たいやうくわう)を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり
死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞ゆる