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ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷ちかづきぬ 斎藤茂吉『ともしび』

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ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷ちかづきぬ

斎藤茂吉『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。

このページは現代語訳付きの方で、語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。

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ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷ちかづきぬ

読み:ぬばたまの よるにならんと するときに むかいのおかに らいちかづきぬ

歌の意味と現代語訳

あたりが暗くなったもうすぐ夜になろうという時に、離れた向かいの丘に雷が近づいてきた

歌集 出典

斎藤茂吉『ともしび』 大正15年

歌の語句

・ぬばたまの…「夜」にかかる枕詞

・ならむ…「なる+む(未来の助動詞)」

・雷…読みは「らい」 雷のこと

・近づきぬ…「近づく+ぬ(完了の助動詞)」

修辞・表現技法

句切れなし

「ぬばたまの」の枕詞が初句にあることと、3句の「するときに」に注意されたい。以下に解説

 

鑑賞と解釈

昭和2年作。

佐藤佐太郎の解説によると、5月7日の詞書があるが、その日の日記「雷鳴。夕方に雨降る」という事実に基づいて、5月の23日に作られた。

「非常に苦吟したり」と記されている。

また、佐藤佐太郎によると、作者はこの歌をこの時期の代表作の一つとみなしており、重要な作品と思われる。

なお、柿本人麻呂作に「ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の 川音高しも あらしかも疾き 巻7-1101」がある。

他に、茂吉の日記には「『に』が多すぎて困った」という記述もある。

「ぬばたまの」「するときに」の意味

「ぬばたまの」というのは、枕詞で「夜」を導くために前に置かれるが、意味はない。

この場合の雷は下の自解だと「雷鳴」のことであり、音ではない。

「近づきぬ」というのは、遠くからやってきた雷鳴が、離れた岡の付近に見えるということで、それが以下に佐藤佐太郎が説明するように作者には体感的に「近づいてきた」という自覚がある。

つまり、雷には依然として距離がある。意味の薄い枕詞で「ぬばたまの」と始めるのは、始めのぼんやりした距離感を表すことに役に立つ。

そして、「ぬばたまの夜に」としておもむろに夜についてまず述べる。

さらに「ならむとするときに」と、時間的な間合いを取って、それが同時に、雷との距離感をも表している。

作者がこの歌で表したかったのは、その距離感であり、雷そのものではなく、その予感である。

遠くに離れたところにちかちかと見える、その雷鳴とそれに呼応するこころのかすかな危機感が「ぬばたまの夜」にくるまれて表現される。

「ならむとするときに」の8音の長さが、そのまま雷への距離であり、それによって作者が示す不思議な静けさがこの歌にはある。

雷の激しさ、華々しさを詠む歌はあっても、このような雷鳴の歌は稀だろう。

「雷」は「ライ」の読み

なお、下に佐藤佐太郎もしてきている「雷」を字音で「ライ」としたのは、「カミナリ」というより、2音で短いことがひとつ。

雷鳴が見える時間は一瞬であり、どちらが適当かというと「ライ」のほうがよい。

さらに、「カ音」で始まるより、響きが柔らかく、雷の華々しさを強調する必要がないこの歌では、2音の「ライ」がふさわしい。

「かみなり」と聞くと、雷鳴だけではなく、音も必ず連想される。作者が「苦吟をした」という随所にこのような工夫がある。

 

斎藤茂吉自註『作家四十年』より

この歌は雷鳴を歌にしたのであるが「ぬばたまの夜にならむとするときに」という上句は、枕詞などを用い、能うかぎり単純素朴に行こうとしたところに苦心があった。偶然来合わせた山口茂吉君はこの時の事をよく承知して居る。(-『作歌四十年 自選自解 斎藤茂吉』)

 

佐藤佐太郎の解説

 (斎藤茂吉の)自宅(病院)は「けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬りたるかな」(『赤光』)という歌もあるように、谷をへだてて青山墓地と大しているので、ここでも、「向ひの丘」と言っている、気象の変化、自然の動運を力強く表現した歌である。作者は特異な体質で、夕立の来るような日は朝から頭痛がして体が大儀だということだった。そしていよいよ雷鳴がする頃になるとにわかに爽快になるといっていた。その身体的な反応が一首の背景になっているということも知っていていいだろう。

夕暮れになったことを「夜にならむとするとき」といい、「夜」をヨルとしている。夕立に来る気配で雷鳴の仕切りにするのを「雷ちかづきぬ」といい、「雷」を字音でライとしている。こういう点に「能うかぎり単純素朴に行こうとした」その苦心をみることができるだろう。この歌は作者みずからこの時期の位置代表作とみなしたので、論争の際にただ一首この自作をあげたりしたのであった。

「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

「ともしび」の一連の歌

ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷ちかづきぬ

みちのくの山のみづさへ常ならぬいたいたしき世にわれ老いむとす

熱いでてわれ臥しにけり夜もすがら音してぞ降る三月の雨

南風吹き居るときに青々と灰のなかより韮萌えにけり




-ともしび

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