さ夜ふけと夜の更けにける暗黒(あんこく)にびようびようと犬は鳴くにあらずや
斎藤茂吉『赤光』から主要な代表作短歌の解説と観賞を記します。
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さ夜ふけと夜の更けにける暗黒にびようびようと犬は鳴くにあらずや
現代語での読み:さよふけと よのふけにける あんこくに びょうびょうといぬは なくにあらずや
作者と出典
斎藤茂吉 『赤光』 「犬の長鳴」
一首の意味
「夜よもっと更けよ」と夜が更ける暗黒にそれを求めてびょうびょうと犬が鳴くのではないだろうか
語句
- びょうびょうと…犬の鳴き声の擬音
「さ夜ふけと」の品詞分解
…「さ」は接頭語。
「更く」…基本形 「夜が更ける」の「更ける」の文語
「さ夜ふけと」の「ふけ」は命令形と思われる
鳴くにあらずやの品詞分解
「あらずや」は反語を表し、「~ではないか、いやそうだろう」の意味。
解説と鑑賞
近くで火事が起こった際の犬の鳴き声を題材にした一連の中の2首。
『赤光』改選版の連作
原作の初版ではこの歌の他5首が詠まれたが、改選版では以下の2首に削られた。
長鳴くはかの犬族(けんぞく)のなが鳴くは遠街(をんがい)にして火かもおこれる
さ夜ふけと夜の更けにける暗黒(あんこく)にびようびようと犬は鳴くにあらずや
一首目は「犬」と言わずに「犬族」としているが、これは作者の造語である。
「犬族」(けんぞく)とすることで、ただの町の犬ではなくて実際に野犬も多くいたのだろうが、言葉の効果で犬ではなくオオカミの群れのような野性味を感じさせる言葉となっている。
またそれと同調する漢語の「遠街(おんがい)」と共に一首に不思議な雰囲気を加えている。
塚本邦雄は「妖気」と評した通りである。
擬音の「びようびよう」
本歌の歌では、漢語は「暗黒」が使われている他、特殊な擬音の「びようびよう」が犬の泣き声として使われる。
さ夜ふけと夜の更けにける」は反復なので、「犬は夜更けに鳴くに違いない」ということが歌の大筋である。
「さ夜ふけと夜の更けにける」の訳
「さ夜ふけと」は犬の立場による命令形で、暗黒を欲している犬が、夜の入りでなく夜更けを待ちわびて、鳴いているというのが一首の意味。
初版では「たちのぼる炎のにおひ一天(ひとあめ)を離りて犬は感じけるはや」となっており、こちらの歌では、犬の鳴いている理由が火事によるものだと明示されているが、最初の歌においては、火事という背景には触れられずに、ただ犬が自発的に鳴くという意味となっている。
外界の変化でなく、擬人化された犬が意志を持っているということ、犬が暗黒を求めているという騒動で、いっせいに犬が時を揃えて鳴くということに一種の不気味な感じをそそられる歌である。
この歌の一連
5 犬の長鳴
よる更けてふと握飯(にぎりめし)くひたくなり握飯(にぎりめし)くひぬ寒がりにつつ
われひとりねむらむとしてゐたるとき外(そと)はこがらしの行くおときこゆ
遠く遠く流るるならむ灯をゆりて冬の疾風(はやち)は外面(とのも)に吹けり
長鳴くはかの犬族(けんぞく)のなが鳴くは遠街(をんがい)にして火かもおこれる
さ夜ふけと夜の更けにける暗黒(あんこく)にびようびようと犬は鳴くにあらずや (二月作)