牛の背に畠つものをば負はしめぬ浦上人は世の唄うたはず
斎藤茂吉『つゆじも』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。このページは現代語訳付きの方です。
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歌人斎藤茂吉については
斎藤茂吉とは 日本を代表する歌人
『つゆじも』全作品のテキスト筆写は斎藤茂吉「つゆじも」短歌全作品にあります。
牛の背に畠つものをば負はしめぬ浦上人(うらかみびと)は世の唄うたはず
歌の意味と現代語訳
牛の背中に荷物を負わせない浦上の信仰者たちは、俗謡を歌わない
出典
「つゆじも」大正9年 長崎
歌の語句
・畠つもの…畑のもの、農作物
つ格助詞 《接続》体言や形容詞の語幹に付く。〔所属・位置〕…の。…にある。▽連体修飾語を作る。「天(あま)つ風」「夕つ方」
・をば…連語「を」と同じ。「を」によって示された動作・作用の対象を「は」によって特に取り立てて強調する。
・負はしめる…「しめる」は使役の助動詞。基本形「しむ」
表現技法
・「世の唄うたはず」は比喩
・上句の「畠つものをば」「負はしめむ」の助詞と助動詞に注意
解説と鑑賞
長崎に帰ってから、山奥の温泉に療養した折に、切支丹の村や浦上の人の暮らしぶりなどを見る機会があった。
「山のべにひそむがごとき切支丹の貧しきむらもわれは見たりき」などの歌もある。
この歌は、その中でも、キリスト者としての信仰と、つつましい生活ぶりを伝えるものとなっている。
控えめであれどこか荘重な感動を伝えるものとなっているのは、「畠つものをば負はしめむ」の内容と響きに拠るところも大きいようだ。
同行したのは平福百穂であり、平福は画家であるので、おそらくスケッチ帳を持ち、立ち止まっては写生をしながら歩いたのではないか。
『あらたま』の七面鳥の一連もそうだが、そのため、「浦上の女つらなり荷を運ぶそのかけごゑは此処まで聞こゆ」「斜なる畠の上にてはたらける浦上人等のその鍬ひかる」のように、茂吉の観察も画家の目を以って丹念に行われた一連となっているように思う。
「世の唄うたはず」は、浦上の女性たちが、収穫物を牛馬のせに負わしめず、俗謡ではなく、素朴な囃し言葉で、牛馬を率いている様子を目撃したためらしい。
「世の唄うたはず」佐藤佐太郎が言うように、「俗謡をうたわない」そのことでもあるだろうし、信仰者が世の人とは違った暮らしぶりをしていることを伝えるものでもあるだろう。
どこか物語のような、絵のような感じのする美しい一首でもある。
佐藤佐太郎の評
11月22日東京から来た平福百穂とともに浦上を歩いた時の作である、「浦上の女つらなり荷を運ぶそのかけごゑは此処まで聞こゆ」「斜なる畠の上にてはたらける浦上人等のその鍬ひかる」という作もあるように、浦上の人たちが傾斜した広い畑に出て働いているところを見た感慨である。
畑の収穫物を人が負って牛馬を使用しないのは、キリスト者としての敬虔な振興に戻づいている。また「世の唄」つまり俗用民謡というものをうたわないのも、キリスト者としての信仰にもとづいている。
眼前にあるものは「荷を運ぶそのかけごゑ」であり、「その鍬ひかる」という客観であるが、それを「牛の背に――」といったのは作者の主観である。
かたくななまでに信仰をまもって、貧しく清い生活を送る「浦上人」に寄せる同上と賛嘆の声である。輪郭を記述したにすぎないような歌だが、実は深い感慨がこもっている。「牛の背に畠つものをば負はしめぬ」など、言葉がねんごろで遠い物音のような哀韻がある。「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
一連の歌
塩(しお)おひてひむがしの山こゆる牛まだ幾(いく)ほども行かざるを見し
雨はれし港はつひに水銀(みづがね)のしづかなるいろに夕ぐれにけり
長崎の港の岸をあゆみゐるビナテールこそあはれなりしか
長崎をわれ去りゆきて船笛(ふなぶえ)の長きこだまを人聞くらむか