うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日
斎藤茂吉の歌集『小園』の「冬至の日に」より、故郷を詠う代表作短歌の鑑賞と解説を記します。
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歌人斎藤茂吉については
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うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日
読み:うつせみの わがいたりけり ゆきつもる あがたのまほら ふゆのはてのひ
作者と出典
斎藤茂吉「白き山」
一首の意味
自分はいたのであったなあ 雪が積もるこの美しい故郷の県に冬の深まる冬至の日に
語句の解説
- うつせみ…漢字は「現身」の古語 「うつせみの吾」枕詞格に使われることもある
- あがた…「県」の古代地名 ここでは作者の故郷の山形県
- まほら…「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語。
「まほろ」「まほろば」ともいう。楽園。理想郷 - 冬のはて…冬至の日を指す
修辞と句切れ
・2句切れ 4句切れ 体言止め
・「うつせみ」「あがた」「まほら」は大和言葉の古語
解説と鑑賞
歌集『白き山』昭和22年作「ひとり歌へる」の一連の中の一首。
作者は山形県の大石田に疎開、冬の厳しい寒さの中、戦後の生活の断片を詠う。
「冬のはての日」
一年の終わりの月である12月を「果ての月」といい、12月20日(本来は旧暦)は「果ての二十日」と言われる日。
翌日12月21日が「冬至」の日となり、この歌には 「冬至の日に」との詞書があり、歌の結句の「冬のはての日」というのは、冬至のことを指す。
「うつせみの」は「生きている」
「うつせみの吾」は、「生きている私」ということであり、一見意味のないような言葉であるが、終戦を辛くも生き延び、さらに作者はこの歌の前に重い肋膜炎を病んで回復している。
「生きている」は歌の上の修辞にとどまらず、作者の深い感慨から自然に呼び起こされた言葉であったろう。
「まほら」の美しさ
厳しい寒さにもかかわらず、雪一色に白く染まった、ふるさとの風景を作者は「まほら」と呼び、故郷の美しさを讃嘆する。
それはまさしく生き延びた人間の感慨でああり、ふるさと賛歌ともいえる。
「冬のはて」は冬至のことだが、雪の深さ、寒さの厳しさ、一年の最後などを思わせるとともに、作者としての一生の人生を焦点化する言葉でもある。
この言葉もまた、いっそうの感慨を強めている。
佐藤佐太郎の評
大石田に於ける作で、雪の積もっているこの県(地方)の山に囲まれた平地に自分は居たのであった、冬至の日に、という一首である。
「冬のはての日」は、当時を大和言葉流に砕いた言葉で、こういえばまた一種独特の意味を帯びて来る。当時は至日・日短ともいい、冬の太陽の至りきわまる日の意である。
一首は2句で切れ、4句で切れ、結句で切れ、しかも4句も5句も名詞で終わっている。単純化の極限とも言うべき形態は崇高である。しかも一種の響きが長く、蒼古として切実でさえある。
さらに言えば、「うつせみの吾が居たりけり」という上句には、ただ「入た」という以上の蕓のようなものが伴われている。「うつせみ」も、現世における現身という内容があるように感じられる。
一語一語距離を距離をおいて、寒冷無色の世界に結晶しているような一首だが、重々しい感情の響きの由来するところも理解されるのである。
一連の歌
冬至の夜はやく臥所に入りにけり息切のする身をいたはりて
みちのくの十和田の湖の赤き山われの臥処にまぼろしに見ゆ
西北の高山なみの山越しの冬のあらしは一日きこゆる
のがれ来て二たびの年暮れむとす悲しきことわりと思ひしかども
くらがりの中におちいる罪ふかき世紀にゐたる吾もひとりぞ
ふかぶかと雪とざしたるこの町に思ひ出ししごとく「永霊」かへる