広告 死にたまふ母

山かげに雉子が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ 「死にたまふ母」斎藤茂吉『赤光』 

 当サイトは広告を含む場合があります

山かげに雉子が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ

斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から「其の4」の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。

スポンサーリンク




斎藤茂吉の記事案内

『赤光』一覧は 斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。

「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。

※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

 

山かげに雉子が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ

 

現代語での読み:やまかげに きじがなきたり やまかげに わきづるゆこそ かなしかりけれ

作者と出典

斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 2首目の歌

現代語訳

山の木々生い茂る影に雉が鳴いている、山かげに湧き出る温泉の湯はいとおしいものだ。

歌の語句

・山かげ…山の草葉の陰という意味であろう

・雉…山鳥の一首で、ケンケーンと高い声で鳴く

・湧きづる…「湧きいづ」が基本形

句切れと表現技法

・2句切れ

・「こそ…けれ」は係り結び




解釈と鑑賞

歌集『赤光』「死にたまふ母」の其の4 2首目の歌。

作者茂吉は、母の火葬の後、「若松屋」旅館のある温泉に滞在して帰京した。

その滞在中の様子を詠んだ歌が、「死にたまふ母」の其の4の一連となる。

初版「赤光り」

この歌は、改選版において上のように改作がなされたが、元々は

山かげに雉が啼きたり山かげの酸つぱき湯こそかなしかりけれ

というものだった。

この次の歌は

酸(すゆ)き湯に身はかなしくも浸りいて空に輝く光を見たり

となっていて、作者茂吉が温泉に入浴しながら、この歌を詠んだことがわかる。

雉の声

雉の声は古くから伝わる行基の歌に「山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」というものがある。

これを元に松尾芭蕉が「ちちははのしきりにこひし雉の声」の句を詠んでおり、雉の声は多く肉親の声に例えられることになっている。

その雉の声が入浴中に聞こえたので、母を思い出したということが含められている。

原作「酸つぱき湯」との違い

再度比較すると

原作:山かげに雉が啼きたり山かげの酸つぱき湯こそかなしかりけれ

改選版:山かげに雉子が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ

原作は「酸つぱき湯」で、温泉の湯が酸性泉であったことを指す。

この方が原作の「酸の湯に身はすつぼりと浸りいて」と音が通じることになっている他、「酸ゆき」は、「饐ゆ」からの造語で「片言に類」するという塚本邦雄他の指摘がある。

「酸の湯」では促音のインパクトが薄れ、おとなしくなった感じは否めない。

「すつぽりと」も酸とあいまって、語感に訴えるものがあったし、「湧きづる」として作者が浸るよりも、湯の観察や傍観にとどまることとなっている。

「山かげに」

さらに、「山かげに」が繰り返し用いられており、「山かげ-雉」を2句切れで終え、その後の湯の沸く「山かげ」とは、別々の地点として描きたかったのかもしれない。

この繰り返しも改作によって、いささか不明瞭になったと言えなくもない。

蔵王山の場所

一連の歌

かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ

ほのかなる通草(あけび)の花の散るやまに啼く山鳩のこゑの寂しさ

山かげに雉子が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ

酸(すゆ)き湯に身はかなしくも浸(ひた)りゐて空にかがやく光を見たり

ふるさとのわぎへの里にかへり来て白ふぢの花ひでて食ひけり

■『死にたまふ母』一覧に戻る




-死にたまふ母

error: Content is protected !!