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夜ふけてねむり死なむとせし君の心はつひに氷のごとし 芥川龍之介河童忌の短歌

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芥川龍之介の命日、河童忌は今日は7月24日です。

斎藤茂吉は医師としても、文学仲間としても芥川龍之介と交流がありました。

きょうの日めくり短歌は、河童忌にちなむ短歌として、斎藤茂吉の芥川龍之介を詠んだ歌をご紹介します。

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夜ふけてねむり死なむとせし君の心はつひに氷のごとし

上の短歌の「君」というのが、芥川龍之介のこと。

歌の作者は、芥川龍之介の主治医でもあった斎藤茂吉です。

芥川龍之介の死因は、睡眠薬での服毒自殺であったので、上の歌の「ねむり死なむ」というのは、その意味です。

斎藤茂吉の自註

斎藤茂吉は上の歌について『作歌四十年』において、下のように書いています。

澄江堂主人芥川龍之介の亡くなられたときの挽歌である。催眠薬で志那えらのだから、『ねむり死なむ』とした。これなどもいささかの工夫であった。

それからくさかげろうの青い透きとおる羽は、故人の象徴であるかのように思えるふしもあるので、その実際の草かげろうを写生して置いた。

上の短歌は、芥川の号である「澄江堂の主をとむらふ」という詞書がついて、斎藤茂吉の歌集『ともしび』に所収されています。

精神科医斎藤茂吉が主治医も

斎藤茂吉と芥川龍之介の関係は深く、精神科医であった茂吉に芥川が病状を相談、薬の処方を受けたとされています。

死因が服毒自殺だったので、全部が自分の出した薬ではなかったとしても、茂吉としては大変な衝撃を受けました。

『赤光』を絶賛した芥川龍之介

他に、文学的なかかわりでは、芥川龍之介は

「僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になつたのでもない。斎藤茂吉にあけて貰つたのである」

として、斎藤茂吉の第一歌集『赤光』を絶賛するなど、相互に敬愛を示していました。

長崎で斎藤茂吉を訪問

大正8年に、芥川が長崎に旅行をしたときに、その時長崎の医学専門学校(今の長崎医大)に赴任していた斎藤茂吉を訪ねたというエピソードもあります。

他にも、かげろうに芥川を重ねた短歌が

壁(かべ)に来て草かげろふはすがり居(を)り透きとほりたる羽(はね)のかなしさ

斎藤茂吉も芥川を折々に偲んでいたことがうかがえます。

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