文学

芥川龍之介の命日「河童忌」の俳句や短歌

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芥川龍之介の命日、河童忌、今日7月24日が今年もめぐってきました。

36歳の惜しまれる死、芥川龍之介の自殺は、その後の文学界にも大きな衝撃を残しました。

「河童忌」は俳句の季語ともなっています。芥川龍之介「河童忌」を詠んだ短歌や俳句をご紹介します。

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芥川龍之介「河童忌」

7月24日は芥川龍之介の亡くなった日です。1927(昭和2)年のこと、年齢は36歳でした。

「河童忌」は芥川龍之介の作品にある小説題名の、『河童』にちなんで名づけられました。

芥川は、小説の中では、人間を河童として描き、自らの姿も「河童」に重ね合わせており、芥川自ら河童のイラストを墨で水墨画調に描いたものも遺されています。

 

芥川龍之介の自殺の理由は「ぼんやりした不安」

芥川自身が述べた自殺の理由は「ぼんやりした不安」というものでした。

友人で、同じく夏目漱石門下であった内田百閒は、その夏が「あまりに暑いので、腹を立てて死んだのだろうと私は考えた」と、自殺の原因について冗談めかして書いています。

しかし、それ以前から、芥川が過剰に睡眠薬を服用しており、内田百閒との話の最中にも「起きたと思ったらまた眠っている」状態であったことも伝わっています。

芥川龍之介を斎藤茂吉が診察

実際に芥川は何らかの精神的な不調を抱えており、それ以前から、他の医師と、また精神科医である茂吉の診察を受けていました。

それが、斎藤茂吉の処方した睡眠薬を大量に服薬して死に至るという、残念な結果になってしまったのです。

亡くなる1,2年前まで何回か診察をしていた関係で、主治医は他にいたため主治医でこそなかったものの、服毒したものには茂吉の処方も含まれていました。

同じ文学者でもある芥川の自殺には、茂吉は大変ショックを受けたようです。茂吉にとっては薬の問題もあり、二重の心労ととなったことでしょう。

芥川龍之介を詠んだ斎藤茂吉の挽歌

歌集『ともしび』には、芥川の号である「澄江堂の主をとむらふ」として、

夜ふけてねむり死なむとせし君の心はつひに氷のごとし
壁(かべ)に来て草かげろふはすがり居(を)り透きとほりたる羽(はね)のかなしさ
-- 童馬山房折々 昭和2年

そして7回忌の折にも、同じ蜉蝣のモチーフを用いて、

宵やみよりくさかげろふの飛ぶみればすでにひそけき君ししぬばゆ
-- 『白桃』(昭和8年)

と詠んでいます。

芥川龍之介の斎藤茂吉「赤光」評

一方、芥川龍之介の茂吉の評価はというと、ひじょうに大きな感銘と影響を受けたことが伝えられています。

そして次のように最大限の賛辞を送っています。

僕は高等学校の生徒だつた頃に偶然「赤光」の初版を読んだ。「赤光」は見る見る僕の前へ新らしい世界を顕出した。爾来僕は茂吉と共におたまじやくしの命を愛し、浅茅の原のそよぎを愛し、青山墓地を愛し、三宅坂を愛し、午後の電燈の光を愛し、女の手の甲の静脈を愛した。(中略)

僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になつたのでもない。斎藤茂吉にあけて貰つたのである。もう今では十数年以前、戸山の原に近い借家の二階に「赤光」の一巻を読まなかつたとすれば、僕は未だに耳木兎みみづくのやうに、大いなる詩歌の日の光をかい間見ることさへ出来なかつたであらう。

正岡子規とのかかわり

なお、正岡子規についても、芥川は『侏儒(しゅじゅ)の言葉』の中で、下の歌を引用しています。

明滅する星の光は我我と同じ感情を表わしているようにも思われるのである。この点でも詩人は何ものよりも先に高々と真理をうたい上げた。

真砂まさごなす数なき星のその中に吾われに向ひて光る星あり

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真砂なす数なき星の其中に吾に向ひて光る星あり~正岡子規

 

「河童忌」の俳句

「河童忌」は夏の季語として、さまざまに俳句に詠まれています。

俳号の我鬼にちなみ「我鬼忌」とも、また芥川の住まいの「澄江堂忌」とも呼ばれています。

内田百閒の河童忌の俳句

友人で、同じ夏目漱石門下、また、海軍の学校に教師として芥川と共に勤めていた経験のある内田百閒も、「河童忌」の俳句を詠んでいます。

河童忌の庭石暗き雨夜かな
歳々や河童忌戻る夜の道   内田百間

他にも

河童忌や河童のかづく秋の草    久保田万太郎

河童忌あまたの食器石に干す  飯田蛇笏

河童忌の燈心蜻蛉鼻の先  飯田龍太

我鬼忌は又我誕生日菓子を食ふ  中村草田男

芥川龍之介の夏の俳句

芥川龍之介の炎暑を詠った俳句があります。

兎(のうさぎ)も片耳垂るる大暑かな
松かげに鶏はらばへる暑さかな

暑いときのウサギがどうなのかはわからないが、おもしろいです。

また、動物は日陰の地面が冷たいのが心地良いらしく、犬猫がよくこういう格好をするのを見かけるため、実際の観察に基づいたものなのでしょう。

芥川全集の装丁の布を敷いた部屋

今は取り壊されてしまった、私の実家に父の所有していた芥川龍之介全集がありました。

父が若い頃に買ったかなり古い本で、装丁は青い布張りだったことを覚えています。

その布は、前週の装丁に使ったものが余ったので、芥川が自宅の床に絨毯のように敷いて使っていたということを、坂口安吾が書いていました。

青い布が敷き詰められたその部屋で、芥川は、夏、自らの生に終止符を打ってしまったのでした。





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