あらたま 斎藤茂吉

斎藤茂吉「あらたま」短歌全作品 テキストのみ解説なし

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斎藤茂吉の第二歌集「あらたま」全作品です。便覧などにお使いください。
校正を通していないので抜けや誤字等あるかと思います。

現代語訳と解説は代表作品を集めた「あらたま」短歌一覧の方にまとめましたので、そちらをご覧ください。

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「あらたま」斎藤茂吉

大正二年九月より 1黒きいとど 2折にふれ 3野中 4乾草 5宿直の日 6一本道 7お茶の水

1 黒きいとど
ふり灑(そそ)ぐあまつひかりに目の見えぬ黒き蛼(いとど)を追ひつめにけり
秋づける丘の畑(はた)くまに音たえて昼のいとどはかくろひいそぐ
あかねさす昼のこほろぎおどろきてかくろひ行くを見むとわがせし
畑ゆけばしんしんと光降りしきり黒き蟋蟀の目のみえぬころ
まんじゆ沙華さけるを見つつ心さへつかれてをかの畑こえにけり

2 折にふれ
をさな妻あやぶみまもる心さえ今ははかなくなりにけるかも
どんよりと歩みきたりし後(しり)へより鉄(くろがね)のにほひながれ来にけり
わが妻に触らむとせし生(いき)ものの彼の命の死せざらめやも
固腹をづぶりと刺して逃げのびし男捕はれて来るとふ朝や(岡田満)
いきどほろしきこの身もつひに黙しつつ入日のなかに無花果を食む
ぬば玉の黒き河豚の子なびき藻に乙女の如くひそみたりけり
よひあさく土よりのぼる土の香を嗅ぎつつ心いきどほり居り
郊外をか往くかく往き坂のぼり黄いろき茸ふみにじりたり
うつし身のわが荒魂も一いろに悲しみにつつ潮間(しほかひ)を歩む
わがこころせつぱつまりて手のひらの黒き河豚(ふぐ)の子つひに殺したり
河豚の子をにぎりつぶして潮もぐり悲しき息をこらす吾はや

3 野中
たかだかと乾草ぐるま並びたり乾くさの香を欲しけるかも
ほしくさの馬車(うまぐるま)なみ行きしかば馬はかくろふ乾くさのかげ
太陽のひかり散りたりわが命たじろがめやも野中に立ちて
くろぐろと昼のこほろぎ飛び跳ねてわれは涙を落すなりけり
あしびきの山より下る水たぎち二たびここに相見つるかも
ひしひしと力たへがたく湧きたちて遠き女(おみな)をねたみけるかも
海岸にくやしき息を漏したり常ならぬかなや荒磯潮間(ありそしほかひ)
われつひに孤(ひと)り心(ごころ)に生きざるか少女(おとめ)に離(か)れてさびしきものを

4 乾草
きなぐさきあまつひかりに濡れとほり原のくぼみをあれひとりゆく
ふりそそぐ秋のひかりに乾くさのこらへかねたるにほひのぼれり
ひたぶるにトマト畑を飛びこゆるわれの心のいきどほろしも
いちはやく湧くにやあらむこの身さへ懺悔(さんげ)の心わくにやあらむ
くろがねの黒きひかりをおもひつつ乾くさのへに目をつむり居り

5 宿直の日
狂院の裏の畑の玉キャベツ豚の子どもは越えがたきかも
かんかんと真日照りつくる畑みちに豚の子のむれをしばしいぢめぬ
むらがりて豚の子走る畑みちにすでに衰ふる黄いろの日のひかり
むらぎものみだれし心澄みゆかむ豚の子を道にいぢめ居たれば
みちたらはざる心をもちて湯のたぎり見つめけるかな宿直(とのゐ)をしつつ

6 一本道
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
かがやけるひとすぢの道遥けくてかうかうと風は吹きゆきにけり
野の中にかがやきて一本の道は見ゆここに命をおとしかねつも
はるばると一すぢのみち見はるかす我は女犯をおもはざりけり
我がこころ極まりて来し日に照りて一筋みちのとほるは何ぞも
こころむなしくここに来れりあはれあはれ土の窪(くぼみ)にくまなき光
秋づける代々木の原の日のにほひ馬は遠くもなりにけるかも
かなしみて心和ぎ来むえにしあり通りすがひし農夫妻はや

7 お茶の水
まかがよふひかりたむろに蜻蛉(あきつ)らがほしいままなる飛(とび)のさやけさ
あか蜻蛉(あきつ)むらがり飛ぶよ入つ日の光につるみみだれて来もよ
水のへの光たむろに小蜻蛉はひたぶるにして飛びやまずけり
くれなゐの蜻蛉ひかりて飛びみだるうづまきを見れどいまだ飽かずも
お茶の水を渡らむとして蜻蛉らのざつくばらんの飛のおこなひ見つつかなしむ

大正三年 1七面鳥 2一心敬礼 3雑歌 4諦念 5とのゐ 6蝌蚪 7朝の蛍 8百日紅 9遊光 10海浜守命 11三崎行 12秩父山 13雨 14冬日

1 七面鳥
冬庭に百日紅の木ほそり立ち七面鳥のつがひあゆめり
穏田(おんでん)にいへゐる絵かき絵をかくと七面鳥を見らくあかなく
穏田の絵書きの庭に歩み居(を)る七面鳥をわれも見て居り
ひさしより短か垂氷(たるひ)の一ならび白きひかりが滴つてゐる
ゆづり葉の木かげ斜にをんどりの七面鳥は急ぎあゆめり
垂氷より光のかたまり落ちて来る七面鳥は未だつるまず
うちひびき七面鳥のをんどりの羽ばたき一つ大きかりけり
十方(じつぽう)に真ぴるまなれ七面の鳥(とり)はじけむばかり膨れけるかも
七面鳥ひとつひたぶるに膨れつつ我のまともに居たるたまゆら
まかがよふ光のなかに首(かうべ)あげ七面鳥は身ぶるひをせり
ひばの木の下枝(しづえ)にのぼるをんどりの七面鳥のかうべ紅しも
七面鳥ふたつい並びふくれたち息凝らす我に近づきにけり
あかねさす日もすがら見れど雌鶏の七面鳥はしづけきものを
七面鳥かうべをのべてけたたまし一つの息の声吐きにけり
七面鳥の腹へりしかばたわやめは青菜をもちてこまごまと切る
七面鳥ねむりに生きて残り立つゆづり葉の茎の紅きがかなし
うちひびき七面鳥のをんどりの羽ばたき一つ大きかりけり
ゆづり葉のもとにひとむらの雪きえのこり七面鳥は寝にゆきにけり

2 一心敬礼
海岸の松の木原に著きしかば今日のひと日も暮れにけるかも
潮騒(しほざい)をききてしづかに眠らむと思ひやまねばつひに来にけり
松風が吹きゐたりけり松はらの小道をのぼり童女と行けば
ほのぼのと諸国修行に行くこころ遠松かぜも聞くべかりけり
父母所生(ふもしょじょう)の眼ひらきて一いろの暗きを見たり遠き松風
ともしびの心をほそめて松はらのしづかなる家にまなこつむりぬ
目をとぢて二人さびしくかうかうと行く松風の音をこそ聞け
松ばらにふたり目ざめて鶏がなく東土(とうど)の海のあけぼのを見つ
ゆらゆらと朝日子あかくひむがしの海に生まれてゐたりけるかも
東海の渚に立てば朝日子はわがをとめごの額を照らす
目をひらきてありがたきかなやくれなゐの大日(だいにち)われにちかづきのぼる

3 雑歌
むかう空(ぞら)にながれて落つる星のあり悲しめる身の命のこぼれ
赤電車場ずゑを差して走りたりわれの向かひの人はねむりぬ
みちのくに米(よね)とぼしとぞ小夜ふけし電車のなかに父をしぞ思ふ
しんしんと雪降る中にたたずめる馬の眼はまたたきにけり
電車とまるここは青山三丁目染屋(そめや)の紺に雪ふり消居り
ほうつとして電車をおりし現身の我の眉間に雪ふりしきる
ゆく春はしづかなれども気にかかるあはれをとめて我は来にけり
春がすみとほくながるる西空に入日おほきくなりにけるかも
侏儒(こびと)ひとり陣羽織きて行きにけり行方(ゆくへ)に春のつちげむり立つ
入日ぞら頭がちなる侏儒(しゅじゅ)ひとりいま大河(おほかは)の鉄橋(てっきょう)わたる
かなしかる初代ぽんたも古妻(ふりづま)の舞ふ行く春のよるのともしび
にはたづみ流れ果てねば竹の葉ゆ陽炎(かぎろひ)のぼる日の光さし
さにづらふ少女(をとめ)の歎(なげき)もものものし人さびせざるこがらしの音
いつぽんの杉の大木にかかりたる入日のほのほ澄みにけるかも
いつぽんの杉の大木に抱かれし紅き入りつ日土に入るかも
赤光のなかに染まりて帰りくる農婦のをみな草負へりけり
なげかざる女のまなこ直(ただ)さびし電燈のもとに湯はたぎるなり

4 諦念
橡(とち)の太樹(ふとき)をいま吹きとほる五月(さつき)かぜ嫩葉(わかば)たふとく諸向(もろむ)きにけり
朝風の流るるまにま橡の樹の嫩葉ひたむきになびき伏すはや
朝ゆけば朝森うごき夕くれば夕森うごく見とも悔いめや
しまし我は目をつむりなむ真日おちって鴉ねむりに行くこゑきこゆ
この夜は鳥獣魚介もしづかなれ未練もちてか行きかく行くわれも
あきらめに色なありそとぬば玉の小夜なかにして目ざめかなしむ
この朝明(あさけ)ひた急ぐ土の土竜(もぐらもち)かなしきものを我見たりけり
豚の子と軍鶏(しゃも)ともの食ふところなり我が魂ももとほるところ

5 とのゐ
はつ夏の日の照りわたりたる狂院のせとの土腹に軍鶏むらがれり
ひと夜ねしとのゐの朝の畳みはふ虫をころさずめざめごころに
やまたづのむかひの森にさぬつどり雉子啼きとよむ声のかなしさ
朝明けてひた怒りをる狂人のこゑをききつつ疑わずけり
ひとりゐて見つつさびしむあぶらむし硯の水を舐めやまずけり

6 蝌蚪
かへるごは水のもなかに生まれいでかなしきかなや浅岸に寄る
くろきものおたまじゃくしは命もち今か生(あ)れなむもの怖じながら
あかねさす昼の光の尊くておたまじやくしは生れやまずけり
まんまんと満つる光に生れゐるおたまじやくしの目は見ゆるらむ
かへるごの池いちめんになりたらば術(すべ)あらめやと心散りをり
水際(みぎわ)にはおたまじやくしの聚合(かたまり)の凝(こ)りうごかねば夕さりにけり
くろぐろと命みじかく寄りあえるおたまじやくしをしまらくは見む
きちがひの遊歩がへりのむらがりのひとり掌(て)を合す水に向きつつ

7 朝の蛍
足乳根の母に連れられ川越えし田越えしこともありにけむもの
草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ
朝どりの朝立つわれの靴下のやぶれもさびし夏さりにけり
こころ妻まだうらわかく戸をあけて月は紅しといひにけるかも
わくらはに生(あ)れこしわれと思へども妻なればとてあひ寝るらむか
ぎぼうしゆの葉のひろごりに日(け)ならべし梅雨(さみだれ)晴れて暑しこのごろ
代々木野をむらがり走る汗馬(あせうま)をかなしと思ふ夏さりにけり
みじかかるこの世を経むとうらがなし女(おみな)の連れのありといふかも

8 百日紅
われ起きてあはれといひぬとどろける疾風(はやち)のなかに蝉は鳴かざり
家鴨らに食み残されしダアリアは暴風(あらし)の中に伏しにけるかも
疾風来(はやちく)と竹のはやしのの鳴る音の近くにきこる臥(こや)りつつおれば
はつはつに咲きふふみつつあしびきの暴風にゆるる百日紅の花
油蝉いま鳴きにけり大かぜのなごりの著るき百日紅のはな
日向葵は諸伏しゐたりひた吹きに疾風ふき過ぎし方にむかひて
熱いでて臥しつつ思ふかかる日に言よせ妻は何をいふらむ
嵐やや和(な)ぎ行きにけり床のへに群ぎもさやぎ熱いでて居り

9 遊光
ふくらめる陸稲(おかぼ)ばたけに人はゐずあめなるや日のひかり澄みつつ
空をかぎりまろくひろごれる青畑をいそぎてのぼる人ひとり見ゆ
ありがたや玉蜀黍(たうきび)の実のものものもみな紅毛をいただきにけり
な騒ぎそ此の郊外に真日落ちて山羊は土掘り臥しにけるかも
あかあかと南瓜ころがりゐたりけりむかうの道を農夫はかへる
ゆふづくと南瓜ばたけに漂へるあかき遊光に礙りあらずも
あかあかと土に埋まる大日(だいにち)のなかにひと見ゆ鍬をかつぎて
真日おつる陸稲ばたけの向うにもひとりさびしく農夫かがめり

10 海浜守命
ゆふぐれの海の浅処(あさど)にぬばたまの黒牛疲れて洗はれにけり
ゆふ渚もの言はぬ牛つかれ来てあまたもの専(もは)ら洗はれにけり
たどり来て煙草ばたけに密(ひそ)ひそと煙草の花を妻とぬすみぬ
ゆふされた煙草ばたけいかくまれし家念仏すひとは見えなく
海此岸(かいしがん)に童のこゑすなりうらうらと照り満る光にわれ入らむとす
うつつなるわらべ専念あそぶこゑ巌の陰よりのびあがり見つ
あかかと照りてあそべる童男(をわらは)におのづからなる童女((めわらは)も居り
日のもとの入江音なし息づくと見れど音こそなかりけるかも
にちりんは白くちひさし海中に浮びて声なき童子のあたま
妻とふたり命まもりて海つべに直(ただ)つつましく魚(いを)くひにけり
さんごじゆの大樹(だいじゆ)のうへを行く鴉南なぎさに低くなりつも
みづゆけば根白高萱(ねじろたかがや)かやむらは濡れつつ蟹を寝しむるところ
しろがねの雨わたつみに輝(て)りけむり漕ぎたみ遠きふたり舟びと
一列(ひとつら)に女かがまりあかあかと煙草葉を翻(か)へす昼のなぎさに
いくたりも人いで来りふゆ待ちて海の薬草(くすりぐさ)に火をつけにけり
この葉間に家ゐて鱗(うろくづ)を食ひしかば命はながくなりにけむかも
海岸にひとりの童子泣きにけりたらちねの母いづくを来らむ

11 三崎行
いちめんにふくらみ円(まろ)き粟畑を潮ふきあげし疾(はや)かぜとほる
あをあをとおもき煙草のひろ葉畑くろき著物の人かがみつも
ひもすがら煙草ばたけに蹲りをみなしづかに虫をつぶせり
紺に照る海と海との中やまにみづうみありてかぎろひのぼる
ぬすみたる煙草の花の一にぎり持ち歩き来て妻にわたせり
まるくふくれし煙草ばたけの向う道馬車は小さく隠ろひにけり
松並樹くろくはるけしなげけとて笠著て旅路ゆくひとのあり
入日には金の真砂の揺られくる小磯の波に足をぬらす
けふもまた急げいそげとのごり馬とほり過(すが)へる馬を見て嘶(な)く
旅を来てひそかに心の澄むものは一樹のかげの蒟蒻ぐさのたま
しみじみと肉眼もちて見るものは蒟蒻ぐさのくきの太たち
ほくほくとけふも三崎へのぼり馬粟畑こえていななんきにけり
こんにやくの茎の青斑(あをふ)の太茎をすぽりと抜きて声もたてなく
ひたぶるに河豚はふくれて水のうへありのままなる命死にゐる
潮の上にこらえかねたる河豚の子は眼をあきて命をはれり
かうかうと西吹き揚げて海雀あなたふと空に澄みゐて飛ばず
あがつまと古泉千樫と三人して清きこの浜に一夜ねにけり

12 秩父山
ちちのみの秩父の山に時雨ふり峡間ほそ路に人ぬるる見ゆ
ここにして秩父はざまの渓の水いはに迫りて白くたぎつも
さむざむと秩父の山に入りにけり馬は恐るる山ふかみかも
据風呂のなかにしまらく目を閉ぢてありがたきかなや人の音(と)もせず
苦行者も通りにけらしこの水をいつくし細しといひにけらしも
石斧(せきふ)ひそむ畑のなかに草鞋(わらぢ)ぬぎ肉刺(まめ)を撫(さす)りてひとり居りけり
岨(そは)をゆく人に追ひつき水わたる足つめたしといひにけるかも
夜遅く風呂のけむりの香をかぎて世にも遠かる思ひぞわがする

13 時雨
片山かげに青々として畑あり時雨の雨の降りにけるかも
山峡(やまかひ)に朝なゆふなに人居りてものを言ふこそあはれなりけれ
山こえて片山かげの青畑ゆふげしぐれの音のさびしさ
ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも
山ふかく遊行をしたり仮初のものとなおもひ山は邃(ふか)しも
ひさかたのしぐれふりくる空さびし土に下りたちて鴉は啼くも
しぐれふる峡にいりつつうつしみのともしび見えず馬のおとすも
現身はみなねむりたりみ空より小夜時雨ふるこの寒しぐれ

14 冬日
かんかんと橡の太樹の立てらくを背向(そがひ)にしつつわれぞ歩める
橡の樹のひろ葉みな落ちて鴉ゐる枝のさゆれのよく見ゆるかも
ふゆ腹に絵をかく男ひとり来て動くけむりをかきはじめたり
しぐれふる空の下道身は濡れて縁なきものと我が思はなくなに
ふゆ空に虹の立つこそやさしけれ角兵衛童子坂のぼりつつ
くれなゐの獅子をかうべにもつ童子もんどり打ちてあはれなるかも
墓はらをこえて聯隊(れんたい)兵営のゆふ寒空に立てる虹かも
向うには小竹林の黄の照りのいよよさびしく日はかたむきぬ

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