斎藤茂吉『あらたま』から主要な代表歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方で、語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。
他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『あらたま』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。
『あらたま』全作品の筆写は斎藤茂吉『あらたま』短歌全作品にあります。
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ひさかたのしぐれふりくる空さびし土に下りたちて鴉は啼くも
歌の意味と現代語訳
時雨の降ってくる空が寂しい。だから土に降りてきて鴉は鳴くのだよ
出典
『あらたま』大正3年 13 時雨
歌の語句
ひさかたの・・・天に関係のある「天」「空」「雨」「月」「月夜」「日」「昼」「雲」「雪」「あられ」などにかかる枕詞。
参考:久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(百人一首)
時雨・・・秋の末から冬の初めごろに、降ったりやんだりする小雨をいう
下りたいて・・・下り立つ
もは詠嘆の助動詞。「~であることよ」
表現技法
三句切れ
鑑賞と解釈
上句と下句には意味上のつながりがあり、「空が寂しいので」という鴉の心を代弁しているのだが、もちろんは、それは鴉ではなく、作者の心持ちである。
その気持ちを反映させる光景を選択して、その「実景」を描写することで表している。
実相観入
作者が後年言った「実相に観入して自然・自己一元の生を写す」実相観入とは、表面的な写生にとどまらず、対象に自己を投入して、自己と対象とが一つになった世界を具象的に写すということだった。
この歌は地味な歌に見えるが、作者の歩みを伝えてもいるだろう。
的確な鴉の描写
「空」のさびしさは、ひとつは「時雨が降る」ということであるが、それをもっと強く表しているのは、鴉の動作である。
鴉が土の上に単に「居る」のではない。空が寂しいがゆえに下りてきて、さらに鳴いてその寂しさを訴える。
下に佐太郎の言う芭蕉の「枯れ枝に鳥のとまりけり秋の暮」との比較はそこだろう。芭蕉の「鳥」はただそこにあるだけであって、何かを感じているのは作者である。
対して茂吉の鴉は、鴉があたかも何かを感じているかのように、作者の心持と不可分のものとして描かれている。
作者本人が「『草づたふ朝の蛍よ』とも違う」と言うのもそこだろう。
梁塵秘抄の影響
作者はこの歌の「日本的」であることを否定している。
やはり梁塵秘抄ばりのひとつの変化であって自分は骨を折って此処まで歩んで来たような気持がしたのであった。この歌になると、まえにあった「草づたふ朝の蛍よ」の歌とももう違った動きになって居るように見える。外見的には日本的になったとも言い得るが、実質からいえば必ずしもそうではあるまい。(斎藤茂吉著『作歌四十年』より)
塚本と佐太郎の評
塚本はむしろ「山峡(やまかひ)に朝なゆふなに人居りてものを言ふこそあはれなりけれ」の方に梁塵秘抄の影響、「今世紀の今様風あはれを感じる」という。
佐太郎は、「土に下りたちて啼く」の新しさを指摘している。
「土に下りたちて・啼く」という直感が厚くて深い。芭蕉の「枯れ枝に鳥のとまりけり秋の暮」などを想起すれば、この新しさがわかるだろう。「外見的には日本的になったとも言い得るが、実質からいえば必ずしもそうではあるまい」というその実質はこの45句にある。 「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
一連の歌
13 時雨
片山かげに青々として畑あり時雨の雨の降りにけるかも
山峡(やまかひ)に朝なゆふなに人居りてものを言ふこそあはれなりけれ
山こえて片山かげの青畑ゆふげしぐれの音のさびしさ
ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも
山ふかく遊行をしたり仮初のものとなおもひ山は邃(ふか)しも
ひさかたのしぐれふりくる空さびし土に下りたちて鴉は啼くも
しぐれふる峡にいりつつうつしみのともしび見えず馬のおとすも
現身はみなねむりたりみ空より小夜時雨ふるこの寒しぐれ
*この歌の次の歌
歌の意味と現代語訳
真夏日の澄んだ光が浅茅が原いっぱいに差している中に、わずかにそよぐ草の音が聞こえるのだ
出典
『あらたま』大正4年 7 寂しき夏
歌の語句
真夏日・・・読みは「まなつひ」
浅茅・・・まばらに生えた、または丈の低いチガヤ。
荒地に生えることが多く、文学作品では、荒涼とした風景を表すことが多い。俳句では秋の季語だが、この歌では真夏。
けり+かもは詠嘆の助動詞。「~であることよ」
表現技法
句切れなし
鑑賞と解釈
表現の妙よりも、情景を的確に表すことで、作者の微細な感覚と、そこにとらえたものを伝えている。 物音はなく、動くものもない。ただ、光の降り注ぐ原がある。
そしてそれに遅れて下句に「そよぎの音」を置くことで、耳を傾けるべくかすかな音が聞こえてきたということが伝わる。
五感を研ぎ澄まして、その音を惜しむ作者の孤独と虚無も同時に見えてくるだろう。
作者本人は『浅の蛍』の小記で「こういう静かな、澄んでしいんとしているような風景の歌は、むかしならば、幽玄ないし有心(うしん)の体である。今ならば象徴的歌である」とこの歌と前の「ゆふされば」を述べている。
また「現実感の生々としていないのは、仏典辺りに流れている、『澄朗』の感を欲したからではなかったかとおもう」(『斎藤茂吉集』巻末の記)と言っていることから、「よほど自讃の一首であり、この頃の代表作である」と言われている。
「作歌四十年」より作者の解説
茅原一ぱいに夏の強い日光が射して、既に物音が絶えてしまった、とおもう刹那に浅茅のそよぎが幽かに聞こゆるというので、そのころ自分は新発見の如くによろこんでこの歌を作ったのであるが、出来てみれば、新発見の感動ほどにはいかなかった。(斎藤茂吉著『作歌四十年』より)
作者はそのように述べているが、この箇所は謙遜というべきで、作者本人も満足できる作品だったようだ。
塚本邦雄の評
塚本は異常感覚に近い敏感鋭利な自然現象へのリアクション」と否定的でもあるが、それは「写生」との弁の揶揄である。
一方で「怖るべき集中力、この真昼の、逢魔が時めいた一首の真空状態を、茂吉は短歌の事象荘厳化という特性を巧みに活用して、誠に千載一遇の『写生」をなし遂げた」と表現し、この歌のニヒリズムを強調する。
佐太郎の評
佐太郎は、この歌を高く評価し、「写生」を肯定している。