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汗いでてなほめざめゐる夜は暗し現は深し蠅の飛ぶ音『あらたま』斎藤茂吉

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汗いでてなほめざめゐる夜は暗し現は深し蠅の飛ぶ音

斎藤茂吉『あらたま』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。

このページは現代語訳付きの方で、語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『あらたま』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。

『あらたま』全作品の筆写は斎藤茂吉『あらたま』短歌全作品にあります。

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汗いでてなほめざめゐる夜は暗し現は深し蠅の飛ぶ音


歌の意味と現代語訳

じっとしていても汗が出て目覚めている夜は暗い。現実は深いものだ。闇に飛ぶこの蠅の羽音を聞けば

出典
『あらたま』大正5年 12 深夜

歌の語句
うつつ・・・『あらたま』中にも繰り返し使われる語。「現実」の意味。

表現技法
3句切れ、4句切れ
結句は体言止め

鑑賞と解釈

作者の注に「ニイチェは”Die Welt ist tief"と謂へり」との註がある。「ツァラトゥストラ」第三部「踊の歌」に「深き夢より我は覚めたり。--世界は深し。白日のみるより悲し。其悲は深し」という部分がある。

その「世界は深し」が、茂吉の感覚だと「現は深し」と歌の言葉に置き換るものであったらしい。

もっともこの連作の最初の歌はニーチェではなく、「電燈を消せば直くらし蠅ひとつひたぶる飛べる音を聞きける」「しんしんと夜は暗し蠅の飛びめぐる音のたえまのしづけさあはれ」「夜は暗し寝てをる我の顔のべを飛びて遠そく蠅の寂しさ」とのものであって、ニーチェを混ぜる「遊び」はこの4首目のみとなり、主要なモチーフは蠅の音の方だ。

眠る間際に蠅が居るというのは、うるさいものなのだが、暗黒であっても飛びめぐる蠅に作者は現実を重ねており、その現実を表すのにも、感覚的な「発汗」を冒頭に置いている。

茂吉はニーチェには親近感を抱いていたようだ。また、同様の西洋の原典からの引用は『赤光』にも見られる。

作者の解説

暗黒を飛ぶ蠅は暗示的なものがあり、自分はそれを捉えたのであるが、この感覚は『瘋癲学に面よせて』と同じ系統のもので、必ずしも秩父山中の時雨や、小野の陽炎とは同一系統ではないのであるが、写生の考からいえば、これも同一作者の生のあらはれであった。(斎藤茂吉)

 

佐藤佐太郎の評

「うつつは深しにニイチエは“Die Welt ist tief."と謂へり」という註がある。ニイチエのこの言葉は「世界は深し」と訳されているが、作者は自らの感覚を通して「うつつ(現実)は深し」という観相を所有していたのである。
そして「夜は暗しうつつは深しと重ねていうことによって、なまなまとした現実感がただよっている。暗黒の中を目の見えない蠅が飛ぶ、その音を契機として息苦しいような現実の深さを感じているのである。 「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

 

一連の歌

12 深夜
垢づきし瘋癲学に面よせてしましく読めば夜ぞふけにける
煙草のけむり咽に吸ひこみ字書(じしょ)の面(めん)つくづくと見る我をおもへよ
墓原にひびきし銃の音たえて伝統のもとに夜ぞふけにける
階下には女中ねむりぬ階上にわれは書物を片付けて居り
電燈を消せば直くらし蠅ひとつひたぶる飛べる音を聞きける
しんしんと夜は暗し蠅の飛びめぐる音のたえまのしづけさあはれ
夜は暗し寝てをる我の顔のべを飛びて遠そく蠅の寂しさ
汗いでてなほめざめゐる夜は暗し現は深し蠅の飛ぶ音
ひたぶるに暗黒を飛ぶ蠅ひとつ障子にあたる音ぞきこゆる
部屋中の闇を飛ぶ蠅かすかなる戸漏る光にむかひて飛びつ

 




-あらたま

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