あしびきの山こがらしの行く寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも
斎藤茂吉『あらたま』の主要な代表作「祖母」の短歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。『あらたま』全作品の筆写は斎藤茂吉『あらたま』短歌全作品にあります。
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あしびきの山こがらしの行く寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも
読み:あしびきのやまこがらしのゆくさむさ からすのこえはいよよとおしも
歌の意味と現代語訳
山をこがらしの引き過ぎていく寒さよ 風に運ばれる鴉の声がかき消されるかのように遠ざかっていく
作者と出典
斎藤茂吉『あらたま』大正4年 13 冬の山「祖母」其の2
歌の語句
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- あしびきの・・・山にかかる枕詞
- 山こがらし・・・「山」と「こがらし」とを複合した茂吉の造語
- 行く・・・水が流れうつる。風が吹き通るの意味。古くから擬人的に用いる用例がある。
- 参考:『万葉集』二四五九「わが背子が浜行く風のいや急(はや)に急事なさばいや逢はざらむ」
- 遠しも・・・「も」は詠嘆の終助詞
修辞と表現技法
- 3句切れ
- 「あしびきの」の枕詞、風の擬人的用例の「行く」などを用いて、万葉調に統一している。
鑑賞と解釈
『あらたま』の中の代表作「祖母」の一首。
「祖母」は、『赤光』の「死にたまふ母」に該当する。いずれも東北の故郷における血縁者の死がテーマである。
この歌は初句の枕詞から万葉調に統一し、峻厳な響きをもって、厳粛なまでの寒さと、その中の人の死を表す。
上句で述べているのは「寒さ」なのであるが、その裏にあるこがらしの音が、下句の鴉の「声」に、同じ聴覚的要素という共通項で意味上のつながりを持つ。
佐太郎が言うように、3句の名詞止めのあとに、突然「鴉』とつながるのだが、この鴉は視覚のとらえるものではなく、鴉の声のみである。
同じく、目で見るものではない体感的な寒さを、視覚ではない聴覚の捉える寒さを含む風景、その二つの要素によって表すものである。
「作歌四十年」より作者の解説
「山こがらし」という造語をし、それに「あしびきの」という枕詞を置いている。「行く」という語について或る人批評してあったが、これは古来からの用法があり、これでよい。また自分のは、「ものの行」の「行」とも似た使い方である。鴉は「寒鴉」だが、鴉は誠に特別な、原始的な艶のない鳥である。(斎藤茂吉著『作歌四十年』より)
『茂吉秀歌』より佐藤佐太郎の評
上句と下句は一種の配合のようにも受け取れるが、これは配合というよりも、省略があるので、「山こがらしの行く寒さ」の中に、鴉のこえも混じっている。それにしても上句でこがらしをいって、突如として、「鴉のこゑは」とおこし、「いよよ遠しも」と結ぶというのは常識を越えた手際である。 「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
一連の歌
14 こがらし 「祖母」其の二
あしびきの山こがらしの行く寒さ鴉のこゑはいよよ遠しも
高原にくたびれ居れば山脈(やまなみ)は雪にひかりつつあらはれ見え来
はざまなる杉の大樹(だいじゅ)の下闇にゆふこがらしは葉おとしやまず
時雨ふる冬山かげの湯のけむり香に立ち来りねむりがたしも
あしびきの山のはざまに幽かなる馬うづまりて霧たちのぼる
棺のまへに蝋の火をつづ夜さむく一番どりはなきそめにけり
山形の市にひとむれてさやげどもまじはらむ心われもたなくに
むらぎもの心もしまし落ゐたり落葉のうへを黒猫はしる
冬の山に近づく午後の日のひかり干栗(ほしぐり)の上に蠅ならびけり
ぢりぢりとゐろりに燃ゆる楢の木の太根はつひにけむり挙げつも
おほははのつひの命にあはずして霜深き国に二夜ねむりぬ
せまりくる寒さに堪へて冬山の山ひだにいま陽の照るを見つ
きのこ汁くひつつおもふ祖母の乳房にすがりて我(あ)はねむりけむ
稚(おさな)くてありし日のごと吊柿(つりがき)に陽はあはあはと差しゐたるかも
あら土の霜の解けゆくはあはれなり稚きときも我は見にしが
ふるさとに帰りてくれば庭隅(にはくま)の鋸屑(おがくず)の上にも霜ふりにけり
夕されば稲かり終へし田のおもに物の音こそなかりけるかも
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はざまなる杉の大樹(だいじゅ)の下闇にゆふこがらしは葉おとしやまず