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松風のおともこそすれ松かぜは遠くかすかになりにけるかも 斎藤茂吉『つゆじも』

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松風のおともこそすれ松かぜは遠くかすかになりにけるかも

斎藤茂吉『つゆじも』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。

このページは現代語訳付きの方です。語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

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『つゆじも』全作品のテキスト筆写は

斎藤茂吉「つゆじも」短歌代表作品にあります。

斎藤茂吉の生涯については

斎藤茂吉の作品と生涯斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」

 

松風のおともこそすれ松かぜは遠くかすかになりにけるかも

読み:まつかぜの おともこそすれ まつかぜは とおくかすかに なりにけるかも

歌の意味と現代語訳

松風の音がする。松風は遠くかすかになっていくのだなあ

 

出典

「つゆじも」大正10年 山水人間虫魚

歌の語句

おともこそすれ…「こそすれ」は強めていう係り結び

※係り結びの法則は、係り結びは、「ぞ・なむ・や・か」の係助詞は、そのあとの動詞の連体形と結びつき、「こそ」は已然形と結びつく決まり。

修辞と表現技法


2句切れ

「けるかも」…けり+かも どちらも詠嘆の助動詞

鑑賞と解釈

長崎から帰郷。念願だった海外留学に出発することになるが、腎臓を悪くしていることがわかり、養生のため8月から9月までを長野県に滞在した。

その間に詠まれた「山水人間虫魚」五十首は中央公論に掲載された。斎藤茂吉本人は、背景の説明はしているが、『作歌四十年』にはこの歌はあげていない。

かかり結びの二句切れだが、そこで一度言葉を切って風の音を聞く、という時間的な間隙を表す。

その間に風が静かになったという推移が結句に述べられている。

風の音を聞く作者は一人であり、風の音が遠のくまでのその間も同様で、上二句と、下句は対になるものだが、作者と松風以外のものは登場しない。

作者が風の音を受けて感じたことを述べる完全なモノローグで、時間経過が「小さくなる前」「小さくなった後」の対を示すのみである。

上句と下の句の配分は、上が「57」、下が「575」であり、結句が句またがりで「かすかになりにけるかも」と11音を使っていて、風の長さと、風の音との距離感、遠のく様子を余韻を長く表している。

また、音韻の点では、「まつかぜ」の繰り返し、各句の「あ」行と「お」行の頭韻部分を、下に佐藤佐太郎が「歌調がまた雑音を混じえない諧和音で、清く安らかなひびきを息長くたたえている」というところだろう。

ちなみに 「諧和」とは「 やわらいで親しみあうこと。調和。音楽の調子などがよく整っていること」をいう言葉。

寂しさばかりというのではなく、どこか無心に、また無邪気に、ただ風の音にだけ注意と心を傾ける作者、それがこの歌の美しさであるだろう。

この一連の歌は、健康に不安があるときに詠まれた歌だが、いずれも美しいものが多い。

佐藤佐太郎の評

「松かぜのおともこそすれ」の「こそすれ」は、強めていう係り結びの言葉である。まつかぜの 音がするというのだが、そう言って松風の音を聞きとめて耳をかたむける状態を表している。

そうすると聞いている松風の音はようやく遠く微かになったというのである。

待つ風の音は清く寂しくていいものだが、それを聞く作者の孤独なすがたが影のようににじんでいる。

歌調がまた雑音を混じえない階和音で、清く安らかなひびきを息長くたたえている。「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

 

一連の歌

山ふかき林のなかのしづけさに鳥に追はれて落つる蝉(せみ)あり

松かぜのおともこそすれ松かぜは遠くかすかになりにけるかも

谷ぞこはひえびえとして木下(こした)やみわが口笛(くちぶえ)のこだまするなり

あまつ日は松の木原(きはら)のひまもりてつひに寂(さび)しき蘚苔(こけ)を照(てら)せり

高はらのしづかに暮るるよひごとにともしびに来て縋(すが)る虫あり

高原(たかはら)の月のひかりは隈(くま)なくて落葉(おちば)がくれの水のおとすも

ながらふる月のひかりに照らされしわが足もとの秋ぐさのはな

わがいのちをくやしまむとは思はねど月の光は身にしみにけり

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