斎藤茂吉

斎藤茂吉の月を詠んだ短歌 赤光,あらたま,つゆじも,白桃,暁紅より

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月は短歌や和歌にも多く読まれる題材です。

日本古来より月を読んだ歌は数多くありますね。秋の夜長はお月見をしながら思い出す歌の数々があります。

今回は、斎藤茂吉の月を詠んだ短歌を集めてみました。どうぞ鑑賞してみてください。

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月の短歌一覧

月の短歌は、これまでに既に他の記事にもご紹介しています。

好きな時代の短歌から、合わせてお読みください

月の短歌 現代短歌より前登志夫 岡井隆 佐々木幸綱 三枝昴之

中秋の名月 月を詠んだ和歌・名歌 万葉集と古今和歌集より

※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

 

斎藤茂吉の月の短歌

ここから斎藤茂吉の月の短歌です。

月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒は出でず虫鳴けるかも

読み:つきおちて さよほのぐらく いまだかも みろくはいでず むしなけるかも

出典

『赤光』

解説

仏教のモチーフのある初期の作品です。

この歌について詳しく読む
月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒は出でず虫鳴けるかも

 

神無月空の果てよりきたるとき眼ひらく花はあはれなるかも

読み:かんなづき そらのはてより きたるとき めひらくはなは あわれなるかも

出典

『赤光』

解説

塚本邦雄が「明星風」といった通り、斎藤茂吉の作品としては、やや異色なものです。

神無月は10月のこと。秋も深まってきて咲く花の美しさ、というような意味なのでしょう。

この月は、空の「月」のことではなく、10月の到来という意味なのですが、「空の果て」というとき、空の月とも重なるように思われます。

「眼ひらく」というのは、花がひらくの意味の比喩のようです。

斎藤茂吉にはこのような比喩は珍しいのですが、他の短歌を含めて「目」が強調されるものは他にもあります。

この歌の解説は
神無月空の果てよりきたるとき眼ひらく花はあはれなるかも 斎藤茂吉『赤光』

 

こころ妻まだうらわかく戸をあけて月は紅しといひにけるかも

出典

『あらたま』

解説

「こころ妻」というのは「心にのみ思いえがく妻」という意味で、おそらくこれは輝子夫人のことと思われますが、屈折した言い方です。

「紅し」は「くれないの茂吉」の呼び名の通り、赤い月として、印象に刻む色が強調されて詠まれています。

 

湯いづる山の月の光は隈なくて枕べにおきししろがねの時計を照らす

出典

「つゆじも」

解説

故意に字余りで詠まれた歌。

「しろがね」は銀色のこと。金色は「こがね」です。

この温泉が湧き出る山の月の光が、部屋の隅々までを照らすので、枕もとの銀の時計が光っているという情景です。

月の光の静けさ、美しさが伝わります。

この歌について詳しく読む
湯いづる山の月の光は隈なくて枕べにおきししろがねの時計を照らす 

 

わがいのちをくやしまむとは思はねど月の光は身にしみにけり

出典

「つゆじも」

解説

斎藤茂吉は自己評価のどこか低い、気の弱いようなところがある人でした。

夫との関係や、婚家での養子という窮屈な立場のためであったかもしれませんが、なぜか自分の命は短いと思い続けていたようです。

「わがいのちをくやしまむ」というのは、「命の短いことを嘆こうとは思わないが」の意味です。

そのような枯れて乾いた心を持つ自分にも、月の光が沁みるように思われる、というのが全体の意味です。

この歌について詳しく読む
わがいのちをくやしまむとは思はねど月の光は身にしみにけり  斎藤茂吉『つゆじも』短歌代表作

 

うごきゐし夜のしら雲の無くなりて高野の山に月照りわたる

出典

「つゆじも」

解説

高野山を訪ねた際に詠まれた歌。上句は時間の経過と、景色の変化を雲の動きとして表しています。

この作品も秀歌の一つだと思います。

 

ながらふる月のひかりに照らされしわが足もとの秋ぐさのはな

出典

「つゆじも」

解説

「ながらふる」は「流れる」を伸ばした言い方。言葉を伸ばすと同時に、月の光が長くやわらかに届く様子でもあります。

その月の光が、足元の名前もないような小さな草花さえを照らしている。月と共に小さなものをいくつしむ作者。

やさしく、涙ぐましいような歌です。

この歌について詳しく読む
ながらふる月のひかりに照らされしわが足もとの秋ぐさのはな 斎藤茂吉『つゆじも』短歌代表作




みづからの生(いのち)愛(を)しまむ日を経つつ川上がはに月照りにけり

出典

「つゆじも」

解説

病中である、作者の感慨です。

この歌について詳しく読む
みづからの生愛しまむ日を経つつ川上がはに月照りにけり斎藤茂吉『つゆじも』短歌代表作品

 

まどかにも照りくるものか歩みとどめて吾の見てゐる冬の夜の月

出典

「白桃」

解説

こんなにも月の光がまどかに照るものなのだなあ、と足を止めて冬の夜の月を見上げる、というもの。

簡単そうに見えて、情景と作者の立ち位置が良く伝わるように作られています。

歌の意味はただ一つ。初句から結句まで、ブレがないのがいいのです。

 

わが友と低きこゑにて話し行く鎌倉のうみの冬の夜の月

出典

「白桃」

解説

こちらも同じく、「冬の夜の月」止めの歌。

上句のつながりを塚本邦雄が書いていましたね。

「低き声」はなぜなのか。月の光に歌の中で焦点を置くためでしょうか。

月夜の下では、誰しもが寡黙になるかもしれません。

 

月てれる道を歩めばあまねくも蒼ぎる光ひとぞこひしき

出典

「暁紅」

解説

こちらも塚本好みの歌で、佐藤佐太郎は「茂吉秀歌」には上げていません。

「蒼い」の字は茂吉にはめずらしいかもしれず、この「蒼ぎる光」が印象を鮮明にしています。

「照らす」にはせず「てれる」。

「あまねく」は、広く、すべてに渡って。「蒼ぎる光」が人恋しくさせる、という茂吉にしてはストレートな表現です。

 

たたずめるわが足元の虎杖の花あきらかに月照りわたる

出典

「暁紅」

解説

「あきらかに」は「明らかに」、明るいということ。

足元のイタドリの細かい地味な花がはっきりと見えるほど、月が照っている。

「たたずめる」が作者の立ち位置です。花と自身とが月の光の元ではひとしいものとなっています。

 

月読みの光にぬれて坐れるは遠き代よりの人のごときか

出典

「暁紅」

解説

「月読み」は古い言葉で、月のこと。

そして、「光にぬれて」が印象深い言葉です。

「座れる」の主語は作者ですが、自らに遠き代の人を重ね合わせています。

月の下に居るのは、作者だけではない。「遠き代の人」があるだけに、作者の孤独もまた暗示されますが、月の光が孤独を癒すかのようです。

まとめ

斎藤茂吉の月の短歌、いずれも素晴らしく趣のあるものです。

秋の名月を見ながら、これらの短歌も合わせてお読みになってみてくださいね。

 







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