斎藤茂吉

「桑の日」斎藤茂吉の桑の短歌【日めくり短歌】

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9月8日は「桑の日」、福岡県のお茶屋さんが、桑のお茶に関連して制定されたそうです。

桑は養蚕業に欠かせない、蚕の飼料として、古くはなじみの深い植物であったようで、斎藤茂吉の短歌にも、桑を詠んだ短歌がたくさんあります。

きょうの日めくり短歌は、斎藤茂吉の桑の短歌をご紹介します。

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「桑の日」9月8日

9月8日は「桑の日」。福岡県のお茶屋さんが、桑のお茶に関連して制定されたそうです。

桑は以前は農家では副業として飼育されていたようで、短歌にも多く詠まれています。

以下は、その斎藤茂吉の短歌です。

はるばると母は戦を思ひたまふ桑の木の実の熟める畑に

たらちねの母の辺(べ)にゐてくろぐろと熟める桑の実を食ひにけるかな

桑の香の青くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母呼びにけり

ひとり来て 蚕のへやに立ちたれば 我が寂しさは 極まりにけり

 

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はるばると母は戦を思ひたまふの木の実の熟める畑に

読み:はるばると はははいくさを おもいたまう くわのこのみの うめるはたけに

作者

斎藤茂吉 『赤光』

一首の意味

日露戦争に出兵した兄を思われて、遠い戦地に母は思いをはせる。桑の実の熟す秋の畑にはたらきながらも

一首の鑑賞

明治末、斎藤茂吉の長兄広太郎は日露戦争で戦地に赴任。その兄を思う母へのまなざしを詠う歌です。

下句の「桑の木の実の熟める畑に」がなんとも良いところです。まだこの頃の茂吉は短歌の習作期でしたが、しみじみとする良い歌に思われます。

 

 

たらちねの母の辺(べ)にゐてくろぐろと熟めるの実を食ひにけるかな

読み:たらちねの ははのべにいて くろぐろと うめるくわのみを くいにけるかな

作者

斎藤茂吉 『赤光』

一首の意味

母と一緒にいて黒く熟れた桑の実を食べたのであったなあ

 

一首の鑑賞

「けるかな」は「食べたのであったなあ」として、母のそばにいた幼いころを回顧して懐かしむというもの。

斎藤茂吉は、旧姓は守谷。東京に養子に行って「斎藤」姓となり、養父母の元で育ちました。

「たらちね」は枕詞ですが、ここでは、「生みの母」との意味合いもあるでしょう。

その母のそばには、いつも蚕があってその世話のための桑の葉は、畑にも家の蚕の部屋にもあった。

母の思い出と、甘酸っぱい桑の実の味とが、オーバーラップして思い出されるという内容の歌です。

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「死にたまふ母」の桑の短歌

他に、斎藤茂吉には代表作というべき「死にたまふ母」の一連があります。

倒れたのち、確実に死に向かっている母を看取るときの歌49首ですが、その中にも、農村の暮らしの中にある桑を詠んだ短歌があります。

「死にたまふ」

桑の香の青くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母呼びにけり

読み:くわのかの あおくただよう あさあけに たえがたければ ははよびにけり

一首の意味と解説

一首目は、桑の香、これは、家の中にある蚕を飼う部屋があって、そこに桑の葉が摘んでおいてある。

その葉の香りが、瀕死の母のいる部屋にも漂ってくる。

作者は、死に近い母は、もう返事をしてくれないとは知っているのに、我慢ができなくなって、「お母さん」と呼び掛ける。

否、山形県の昔なので、もっと肉声の呼び名であったことでしょう。

答えが返ってこなければ、ますます、自分が寂しく悲しくなることを知っているのに、呼ばずにいられない。それが「耐え難ければ」となるのでしょう。

 

ひとり来て蚕(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり

読み:ひとりきて かうこのへやに たちたれば わがさびしさは きわまりにけり

一首の意味と解説

横たわる母の周りには、親類が集まっているが、作者は一人そこを離れて、元気な時の母が立ち働いていた養蚕の部屋にやってくる。

おそらく外の畑でなく家にいる時には、母が居間や台所にいない時には、いつも蚕の部屋にいることになっていたのでしょう。

幼いころ、よく母を呼びに来た時のようにその部屋におのずとやってきてしまう作者。

けれども、そこに母は居ません。「立ちたれば」にその時の作者の様子と心境がうかがえるでしょう。

ああ、どこを探してももう母は居ないのだ。今までは故郷に来れば母に会えると思って、作者は東京に一人中学生の時から頑張ってきたのに、そこで本当の孤独を味わったのでしょう。

「わがさびしさ」

「ひとりきて」の上、わざわざ「わがさびしさ」というのは、他の兄弟や親類たちとは違う、養子に行った上、遠い東京で離れて暮らさねばならなかった作者独自の感じ方があるように思えます。

作者自身も、他の兄弟以上の寂しさがあると感じていたかもしれません。

「死にたまふ母」49首には、その時母の周りにいたはずの身内は、弟以外ほとんど詠まれていません。それも特徴というよりやや不思議な点でもあるのです。

暮らしと共にあった養蚕

斎藤茂吉の短歌を見てみても、昔の農家では、養蚕の部屋があって、そこで絹のもととなる蚕が飼われていたことがわかります。

農村では各家庭の重要な仕事であったのですね。

 

きょうの日めくり短歌は、斎藤茂吉の桑の短歌をご紹介しました。

それではまた明日!

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