斎藤茂吉

たえまなく激ちのこゆる石ありて生なきものをわれはかなしむ 斎藤茂吉

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たえまなく激(たぎ)ちのこゆる石ありて生(しょう)なきものをわれはかなしむ 斎藤茂吉

斎藤茂吉の第10歌集「白桃」は戦前に名を成した名歌集の一つ、そこから主要な代表作の短歌の現代語訳、解説と観賞を記します。

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たえまなく激ちのこゆる石ありて生なきものをわれはかなしむ

読み たえまなく たぎちのこゆる いしありて しょうなきものを われはかなしむ

歌の意味と現代語訳

終始たえまなく、激流がその上を越えていく石が川の中にあって、そのような命のないものの哀れさが私の身に染みて感じられる

出典

歌集「白桃」

歌の語句

  • あはれむ……あわれむ 「かわいそうに思う」の他、ここでは 賞美する。めでる。あわれぶ
  • 激ち…読みは「たぎち」【滾ち・激ち】名詞 激流。また、その飛び散るしぶき。
  • こゆる…基本形「こゆ」の連体形
  • 生…読み「しょう」。命、生命
  • かなしむ…漢字「悲しむ」または「愛しむ」

句切れと表現技法

・句切れなし

・1・2句に「たえまなく」「たぎち」のタ行の連続がある

・3句の「石ありて」の音調と「生」を「しょう」との読みにも注意。以下に解説。

 

解説と鑑賞

昭和8年作「四萬」の一首。

軽井沢、草津、川原湯、四万を旅行した際の一連の力作の中の代表作。

「生」を「しょう」と読ませるところから、仏教的な視点が歌のコンセプトとなっている。

川の流れと誰にもかえりみられることのない流れの下の石を見て、命のないものの寂しさ、侘しさをとらえ、そこに、作者の思い入れをふ化することで温かみが生まれる一首となっている。

「たえまなく」「たぎち」と、「た」に始まる音を揃える上句があり、「石ありて」と、間を取った3句が置かれ、そこまでが情景の描写である。

音のゆるい3句を挟んでそれより下が、作者の主観の部分となり、「生なきものを」と石だけではなく無生物全般を俯瞰する表現に広げており、「生」の読みの「しょう」とあいまって、仏教的、宗教的な「あわれ」が暗示されている。

「われはかなしむ」の「われは」に作者の視点感じ方の強調と共に、どこか作者の孤独もうかがえるだろう。

命がないゆえに、石は何も感じてはいない、その石に代わって、命のある「われ」だからこそが感じることが強調されている。

斎藤茂吉の『作歌四十年』より自註

水が白浪を立てて一つの医師の上を越えている。それが何千遍何万遍繰り返すかしれない、永久に繰り返すようにも見える。『生なきものをわれはかなしむ』はその石を主にして云った言葉で、これも暗示的であるようにおもう。この気持ちは、心を深く動かすものがあるようで、それをどう表すべきかに苦心したのだが、大体これでよいようであった。(『作歌四十年』斎藤茂吉)

佐藤佐太郎の評

たえまなく水のこえる石は、見方によっては息つく暇もなくしいたげられているようにも感じられるであろう。それを「生なきものをわれはかなしむ」といった。慌ただしい旅にあってこういう微かなものに眼をそそぐのは常凡の歌人のよくするところではあるまい。
「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

一連の歌

四萬谷にしげりて生ふる杉の樹は古葉をこめて秋ふかむなり

上野(かみつけ)の谷川の瀬にまたたくま青き木の葉はながれて行ける

山がはのひまなき水にうたかたのたゆたふさまも此処に居れば見ゆ

みづの泡の片寄りうかぶ山川に吾が下りゐつ心和ぎけり

川上よりたぎち来りて川下に流るる見ればさびしきろかも

うつせみのつひのねがひか日もすがら山がはの音を聞けど飽かなく







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