白桃

あはれあはれ電のごとくにひらめきて わが子等すらをにくむことあり 斎藤茂吉

あはれあはれ電のごとくにひらめきて わが子等すらをにくむことあり

斎藤茂吉の歌集『白桃』から主要な代表作の短歌の解説と鑑賞を記します。

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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

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あはれあはれ電のごとくにひらめきて わが子等すらをにくむことあり

読み:あわれあわれ でんのごとくに ひらめきて わがこらすらを にくむことあり

作者と出典

「白桃」

現代語訳

おやおや、まるで電気が一瞬でひかるかのように 可愛い子どもたちをも憎らしいと思うことがあるのだ

 

歌の語句

・あはれあはれ・・・「ああ、ああ」「ああ、ほんとうにまあ」などの意味。間投詞

・電の如くに・・・一瞬に怒りが兆す時の様子を表した比喩表現。

表現技法

  • 句切れなし
  • 隠喩の比喩

歌集『白桃』の代表作は

ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり/斎藤茂吉

 

鑑賞と解釈

斎藤茂吉の歌集「白桃」の「時々感想断片集」より。

20首一連の中にある。

歌の内容

一首の内容は、自らの怒りを客観的に表現しているもので、上句の「電のごとくにひらめきて」に歌のポイントがある。

人の怒りや、憎しみのすさまじさ、その鋭さが「ひらめきて」に表れている。

後から考えれば反省すべき行為ではあっても、制御のしようがないことも表しているのだろう。

「わが子等すらを」には、逆に子供は憎むべきではない相手であるという含みがある。

さらに、普段は愛しんでいるという子どもへの愛情も感じられだろう。

なお、晩年の「白き山」には同じ表現を使った

死後のさま電のごとくわが心中にひらめきにけり弱きかなや

というものがある。

こちらは怒りではなく、瞬間的にのいみになるだろうか。

いずれにしても電の如く作者にひらめくときの感情は、作者にとって平常心に衝撃を与える想念であることがうかがえる。

歌の背景

斎藤茂吉は、普段の生活では癇癪もちで知られていた。

精神科医として勤めている時は患者に対しては優しかったようだが、家の中では怒りのエピソードはいとまがなく、家族ばかりか些細なことで女中が叱られて涙ぐむようなことはしょっちゅうあったようだ。

斎藤茂吉の人物像

斎藤茂吉の癇癪癖を思わせる歌は他にもある

今しがた赤くなりて女中を叱りしが郊外に来て寒(さむ)けをおぼゆ「赤光」

わが体机に押しつくるごとくにしてみだれ心をしづめつつ居り

この歌は、一連に7月の歌が含まれていることから、おそらく雷の光を見て連想したのではないかと、塚本邦雄が述べているが、誰もがそうおもうところだろう。

ただし「雷の如く」とした場合にはありきたりになるし、「雷 らい」よりは「電」の「でん」の音の方が良いと思われたのかもしれない。

子煩悩だった斎藤茂吉

なお、斎藤茂吉の息子である北杜夫は、斎藤茂吉は父としては「子煩悩だった」と述べている。

晩年は孫と散歩することを何より楽しみな日課としていた。

関連記事:

斎藤茂吉の息子たち 作家の北杜夫と精神科医斎藤茂太




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