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わが父も母もなかりし頃よりぞ湯殿のやまに湯は湧きたまふ 斎藤茂吉の温泉の短歌

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斎藤茂吉の代表作「死にたまふ母」には、母の葬儀ののち故郷の温泉で心と体を休める場面が詠まれています。

きょうの日めくり短歌は「いい風呂の日」にちなんで斎藤茂吉と風呂、温泉の短歌を集めてみました。

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斎藤茂吉「死にたまふ母」の温泉

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斎藤茂吉の歌集『赤光』の代表作「死にたまふ母」では、母の葬りを終えて、温泉で悲しみを癒す作者の姿が詠まれています。

酸(すゆ)き湯に身はかなしくも浸(ひた)りゐて空にかがやく光を見たり

塚本邦雄は、これを蔵王の高湯温泉というところだと解説。

酸っぱい湯というのは酸性泉というのだそうです。

「光を見たり」というのは露天風呂だからでしょう。

一連は他に

山かげに雉子が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ

火のやまの麓にいづる酸(さん)の湯に一夜(ひとよ)ひたりてかなしみにけり

寂しさに堪へて分け入る山かげに黒々(くろぐろ)と通草(あけび)の花ちりにけり

やま峽(かひ)に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の香(か)の深くただよふ

湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり

 

これらの歌は斎藤茂吉の親戚であった「わかまつや」という旅館で詠まれたと言われています。

茂吉はそこに母の葬儀のあと、上の通り数日滞在。その間に歌稿を書いていたのでしょう。

 

わかまつやには、茂吉の資料の展示物がありますので、一度は訪れてみたいものです。

斎藤茂吉が「死にたまふ母」を詠んだ和歌の宿 蔵王温泉山形わかまつや

 

わが父も母もなかりし頃よりぞ湯殿のやまに湯は湧きたまふ

斎藤茂吉歌集「ともしび」より。

昭和3年「三山参拝の歌」にある一首。

出羽三山に近く育った斎藤茂吉は、山岳信仰を受け継ぎました。

神聖な湯殿山に、作者である自分自身は元より、その両親や祖先もまだいない頃から、脈々と続いて湧き続けている温泉を詠った作品です。

この温泉は湯殿の神体として、地域の人に敬われているものであり、そのため擬人化して「湧きたまふ」と敬語を使っています。

温泉をこのように歌うことで、そこに込められる長い時の流れへの感慨が含まれています。

この湯殿山神社には、昭和57年に建立されたこの歌の歌碑が建てられているとのことです。

 

湯の中に青く浮かししあやめぐさ身に沁むときに春くれむとす

同じ「ともしび」の中の一首。

芥川龍之介のはがきに書かれて送られてきた俳句、「かげろふや棟も落ちたる茅の屋根」への返歌として詠まれた歌。

菖蒲湯を詠ったもので、「青く浮かしし」の色彩、そのお湯が身に染みる時に春が極めて深まっていくとのつなぎ方が優雅な作品となっています。

斎藤茂吉歌集『つゆじも・遠遊・遍歴・ともしび』短歌一覧

 

泡立ちて湧きくる泉の香を好(よ)しと幾むすびしつけふの日和に

読み:あわだちて わきくるいずみの かをよしと いくむすびしつ きょうのひよりに

他におもしろいのが、肘折温泉で斎藤茂吉が炭酸泉を詠んだとされる上の歌。

道端で湧き出ている炭酸泉の炭酸水に砂糖を入れたものを備え付けてあったコップで2、3杯も飲み、子どものように驚き喜んだというエピソードが伝えられているものです。

この歌の詳しいエピソードと解説は

他にも

時雨ふる冬山かげの湯のけむり香に立ち来りねむりがたしも『あらたま』
わが友の春蘭(はるあららぎ)を描くそばにいでゆを出でし吾は眞裸(まはだか)「白桃」

きょうの日めくり短歌は、「いい風呂」の日にちなみ、斎藤茂吉の温泉の短歌をご紹介しました。

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