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斎藤茂吉「おくに」短歌連作現代語訳 思慕と抒情

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斎藤茂吉の「おくに」は歌集『赤光』に詠まれた女性です。

おくには恋愛の相手ではなかったといわれますが、青年、斎藤茂吉の強い愛慕の念が伝わる一連です。

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『赤光』の女性「おくに」

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斎藤茂吉の歌集『赤光』は茂吉の処女歌集であり、当時の歌壇のみならず、文壇にも大きな影響を与えました。

斎藤茂吉が生涯で関わった女性は、永井ふさ子が有名ですが、『赤光』には、一連の主題となる2人の女性が登場、その1人が「おくに」の一連の主題となる女性です。

 

おくには斎藤茂吉の女中

歌集の一連のタイトルには「女中おくに」と記されており、「くに」は本名であるため、おくにが誰かは当初かは判明しています。

おくには、まだ結婚前の斎藤茂吉の身の回りの世話をする女中でした。

しかし、決して魅力的な女性ではなかったことが、茂吉の家族の話から伝わります。

おくにを知る人たち

斎藤茂吉の妻輝子は、

「不器量な女ですが本当に忠実で気立てのいい子で茂吉もかわいがっておりました」

他にも、斎藤茂吉と親交があった土屋文明は

「房州生まれで、ひどく田舎じみた、忠実従順で、亡くなった時には、厄介になったもの、一同悲しんだ」

と書いています。

おくにの死因は腸チフス

斎藤茂吉の「おくに」の内容は、おくにの死を悼むというものですが、おくにはなぜ死んだのかというと、腸チフスで亡くなったということが判明しています。

斎藤茂吉自身も、大学生の時に腸チフスを患ったことがあり、その短歌は『赤光』にも残されています。

そこにもつながりがあり、茂吉の嘆きを深くしたものと思われます。

 

斎藤茂吉とおくにとの恋愛関係は

また、このおくにが、斎藤茂吉の恋愛の対象ではなかったかとの問いには、輝子はインタビューでも一笑に付しており、当時の事情を知る土屋文明も

背後に恋愛関係はない

と記しています。

 

それでは、おくにとの間は何があったのかというと、おそらく、主人と女中というよりは、もう少し深い親密な感情の流れがあったものと思われます。

茂吉は、斎藤家の養子とはいっても、実際にも輝子と結婚、入籍するのはもっとずっと後のことです。

それまでの茂吉の身分は、一書生、一従業員に過ぎなかったので、女中のおくにとも親しくなれる背景がありました。

また、茂吉は、中学生から両親のない環境で過ごしていますので、毎日接するおくににも、家族に準じるような親しみを覚えていたとも推測できます。

 

おくにの短歌連作

「おくに」の短歌連作は以下の通りです。

明治44年に、おくにの死後17首が詠まれています。

現代語を添えて提示します。

おくに17首 現代語訳『赤光』

なにか言(い)ひたかりつらむその言(こと)も言(い)へなくなりて汝(なれ)は死にしか

現代語訳:
なにか言いたかったであろうその言葉も、言えなくなってお前は死んだのだろうか

はや死にて汝(なれ)はゆきしかいとほしと命(いのち)のうちにいひにけむもの

現代語訳:
早くも死によってお前はいってしまったのか。大切だと生きている間に言ったであろうに

終(つひ)に死にて往(ゆ)かむ今際(いまは)の目にあはず涙(なみだ)ながらにわれは居(ゐ)るかな

現代語訳:
とうとう死んでいってしまうその死に目にもあえず、涙を流して私はいるのであるなあ

なにゆゑに泣くと額(ぬか)なで虚言(いつはり)も死に近き子に吾(あ)は言へりしか

現代語訳:
なぜ泣くのだと額を撫でて、死に近い子に気休めを私は言ったのだったか

うつし世のかなしき汝(なれ)に死にゆかれ生きの命も今は力なし

現代語訳:
この世の愛しいお前に死なれて、私の生きる力ももはやなくなってしまった

もろ足(あし)もかいほそりつつ死にし汝(な)があはれになりてここに居(を)りがたし

現代語訳:
両足も細くなって死んだお前がかわいそうになって、ここにもいられない気持ちだ

ひとたびは癒(なほ)りて呉れよとうら泣きて千重にいひしがつひに空しき

現代語訳:
一度は「治ってくれ」と泣きながら何度も何度もお前に行ったのだが、それも今は虚しい

この世にし生きたかりしか一念(いちねん)も申(まう)さず逝きしをあはれとおもふ

現代語訳:
この世に行きたかったであろうその気持ちも言わずに行ってしまったことをかわいそうに思うのだ

何(なに)も彼(か)もあはれになりて思ひづるおくにのひと世はみじかかりしか

現代語訳:
何もかもかわいそうになるのは、思い出すおくにの一生は短いのであろうかと思うためだ

せまりくる現実(うつつ)は悲ししまらくも漂(ただよ)ふごときねむりにゆかむ

現代語訳:
ふと我に返ると迫ってくる現実感が悲しい しばらくは揺らぐ思いに漂うがごとく眠りにつこう

やすらなる眠(ねむり)もがもと此の日ごろ眠(ねむり)ぐすりに親しみにけり

現代語訳:
やすらかな私の眠りがほしいと、この日頃睡眠薬を好んで飲むようになった

なげかひも人に知らえず極まれば何(なに)に縋(すが)りて吾は生きなむか

現代語訳:
この悲しい気持ちも、人には知られず、一人悲しみが迫ると、何にすがって私は生きて行ったらいいのだろうか

しみ到(いた)るゆふべのいろに赤くいる火鉢のおきのなつかしきかも

現代語訳:
しみわたるような夕暮れのいろのなかに赤く燃える火鉢の火がなつかしい

現身(うつしみ)のわれなるかなと歎(なげ)かひて火鉢をちかく身に寄せにけり

現代語訳:
死んだお前に対して、生きているわが身を嘆きながら火鉢の近くに身を寄せるのだなあ

ちから無く鉛筆きればほろほろと紅(くれない)の粉(こ)が落ちてたまれり

現代語訳:
力もなく鉛筆をけずれば、ほろほろと赤鉛筆の赤い粉が落ちてたまっていく

灰のへにくれないの粉の落ちゆくを涙ながしていとほしむかも

現代語訳:火鉢の灰の上に、赤鉛筆の粉が落ちていくのを涙を流して愛しく思い出すのだ

生きてゐる汝(なれ)がすがたのありありと何(なに)に今頃見えきたるかや

現代語訳:
生きてあった時のおまえの姿がまるで生きているかのようにありありと、なぜ今頃みえてくるのであろうか。

もう一首、こちらは、大正元年 「おくにを憶ゆ」として回想の歌があります。

胡頽子(ぐみ)の果のあかき色ほに出づるゆゑ秀(ほ)に出づるゆゑに歎かひにけり (おくにを憶ふ)

 

以上、斎藤茂吉の処女歌集『赤光』から、「おくに」の連作短歌の現代語訳と、おくにの人物と作歌の背景についてお知らせしました。




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