わが体に触れむばかりの支那少女巧笑倩兮といへど解せず
斎藤茂吉の旅行詠を集めた歌集『連山』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
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斎藤茂吉の記事案内
斎藤茂吉の歌集『つきかげ』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。
わが体に触れむばかりの支那少女巧笑倩兮といへど解せず
読み:わがからだに ふれんばかりの しなしょうじょ こうしょうせんたりと いえどかいせず
歌の意味と現代語訳
私の身体に触れるほど近くに立っている中国の少女に、「巧笑倩兮」と言ってみたが、わからなかった
歌集 出典
斎藤茂吉『連山』
歌の語句
- 巧笑倩兮(こうしょうせんたり)は論語の言葉
修辞・表現技法
- 3句切れ
鑑賞と解釈
昭和5年10月に満州鉄道の招きで満州各地を旅行した際の歌。
中国撫順で11首の作品があるその一首。
一つ前の歌に
わがそばに克琴といふ小婦居り西瓜の種子を舌の上(へ)に載す
があり、この少女とのやりとりの続きであろう。
場所は、、おそらく茶館か飯店、酒席であるらしい。
相手の名前が分かったのは、筆談で名前を書いてもらったためか。
それに対して、斎藤茂吉が、「論語」の句より、上の部分を書いて相手に見せたが、「わからない」という表情が返ってきたものと見える。
旅の途中のの女性とのやりとりも、旅の楽しみの一つであるだろう。
「巧笑倩兮(こうしょうせんたり)」の引用
巧笑倩兮(こうしょうせんたり)が論語にあるのは以下の部分
螓首蛾眉、巧笑倩兮、美目盻兮
読みは、螓首(しんしゅ)蛾眉(がび) 巧笑(こうしょう)倩(せん)たり. 美目(びもく)盻(へん)たり
意味は、
蛾のような眉をもった見目麗しい女性、笑えばさらに美しく、美目うるわし
というもので、女性の美しさをたたえる部分。
塚本邦雄の評
以下は塚本邦雄のこの歌の評と解説。
(少女の)気を引き意を迎えようとして、「巧笑倩兮」と書いて示す。「いへど」は必ずしも高騰で告げることを意味しないし、第一正確にこの文字が発音できたかどうか。「巧笑」は「愛らしき笑み」であり、「せん」の字は、「口もとに愛嬌あるさま」をいう。 作者は、「詩経」の「衛風」「碩人」を引いて、この少女に心からなるオマージュを送ったのだろう。(中略)「言へど解せず」には作者の憮然たるっ表情がありありと顕って来る。それはそれで、男ばかりの旅にはひとときの慰謝であったろう。―「茂吉秀歌」より
斎藤茂吉の他の短歌
歌集『連山』より。
水師營(すゐしえい)の會見所(くわいけんじよ)にて書きとどむ「棗の樹(き)より血(ち)しほ出(い)でけむか」
色(しき)の欲(よく)此處に封じて一冬を越えむとしつつ干す唐がらし
わがそばに克琴(くうちん)といふ小婦(せうふ)居り西瓜(すゐくわ)の種子(たね)を舌の上(へ)に載す
幽かなるもののごとくに此處に果てし三瓶與十松君(みかめよそまつくん)を弔ふ
ダライ湖に群れてわたらふ雁(かりがね)の聲もきこえず冬は深まむ
雪の降るまへのしづかさの光ありて陶然亭(たうぜんてい)を黑猫あゆむ
をのこ等に打たれけむかも紅色(こうしよく)の皮弁(ひべん)といへる古樂器(こがくき)ひとつ