桑の香の青くただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から、現代語訳付き解説と観賞を記します。
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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桑の香の青くただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり
現代語での読み:くわのかの あおくただよう あさあけに たえがたければ ははよびにけり
現代語訳
出典
『赤光』「死にたまふ母」 其の2 6番目の歌
歌の語句
・朝明け…夜明けに同じ
・たえがたければ…
基本形「たへがたし」
漢字は「堪え難し」
意味は 堪えることができない。 我慢できない。
「場」は順接確定条件…「なので」の意味
・母呼びにけり
「母を」の「を」が省略。「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けり」は詠嘆の助動詞。
句切れと表現技法
- 句切れなし
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の其の2の6首目の歌。
「たえがたければ」が作者の心情のポイントとなる。
「たえがたければ」の作者の心情
母はこの時、口もきけず、意識ももうろうとしている。
医師の作者である斎藤茂吉からは、ほかの家族以上に病状がわかっており、母を呼んでも答えないことは十分予想されていた。
呼んでも答えない、すると、母の死が一層意識されると思われるので、作者は呼ぶことを控えていたのだろう。
しかし、母の死をただじっと待つ緊張に耐えられなくなった作者は、抑えていた母への呼びかけを初めて行ったのだろう。
まるで桑の葉の香りに誘われるかのように、作者は思わず母を呼んでしまったという場面を、心情的に、しかし、客観的に詠んでいる。
桑の香りと母
茂吉の育ったのは、農家であって、養蚕は屋敷の中で行われていた。
養蚕に携わったのは母であり、桑の香りというのはすなわち母の香り、母を思い出させる原体験的な匂いであったといえる。
単に、重篤な母に接する悲しみというのではなしに、感覚的な「香り」を加えることで大きな効果をもたらしている。
「桑の香り」は、この後の母の死のクライマックスに至る「ライト・モティーフ」であると、塚本邦雄は解説で説明している。
「青くただよふ」のつながり
「青く」は、視覚的な表現であり、正確を期すなら「青臭く」なのであろうが、「青く」とすることで、読者は、春に茂る桑の葉の色を思い浮かべることができる。
このような感覚的な並列は、「猫の舌の猫の舌のうすらに紅き手ざはりのこの悲しさを知りそめにけり」にも類似した表現であり、作者に特有のものである。
一連の歌
桑の香の青くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母呼びにけり
死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
春なればひかり流れてうらがなし今は野(ぬ)のべに蟆子(ぶと)も生(あ)れしか
死に近き母が額(ひたひ)を撫(さす)りつつ涙ながれて居たりけるかな
母が目をしまし離(か)れ来て目守(まも)りたりあな悲しもよ蚕(かふこ)のねむり
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳足(ちた)らひし母よ